2021.04.10

【10年目の東北太平洋沿岸をカソリが行く!<第1回> 】

2011年の東日本大震災直後からライフワークとして、幾度も東北太平洋岸を走ってきた賀曽利さん。 今年も3月11日に「鵜ノ子岬→尻屋崎」の旅へと出発しました。 その様子を全6回でお届けします。

著・賀曽利隆

【鵜ノ子岬→尻屋崎<1日目>】


東日本大震災の発生から10年目の3月11日、「鵜ノ子岬→尻屋崎2021」に出発。 相棒のVストローム250を走らせ、午前6時、東京の日本橋に到着。『ツーリングマップル関東甲信越』を担当している中村聡一郎さんがぼくを待ち構えてくれていた。 中村さんに見送られて日本橋を出発。箱崎ランプで首都高に入り、常磐道を北へ。いわき勿来ICで常磐道を降り、9時15分、鵜ノ子岬(ツーリングマップル東北5F-6/関東甲信越84F-6)に到着した。 鵜ノ子岬は東北太平洋岸最南端の岬、尻屋崎は東北太平洋岸最北端の岬だ。 鵜ノ子岬の北側、福島県の勿来漁港を出発すると、「奥州三関」のひとつ、勿来の関址(ツーリングマップル東北5F-5/関東甲信越84F-5)に行く。ここには源義家の騎馬像が建っている。勿来の関址は高台にあるので、大津波の被害を受けることはなかった。国道6号に出ると、JR常磐線の勿来駅前を通り、常磐バイパスに入る。常磐バイパスの4車線化は東日本大震災後に完成した。 植田から海沿いの県道239号を行く。常磐共同火力発電所に隣り合って、IGPC(石炭ガス化複合発電)の最新鋭の火力発電所が完成している。この先の県道239号はいわき市でも最後まで通行止区間として残ったが、今ではきれいな2車線の道になっている。防災緑地も完成している。臨海工業地帯を走って小名浜に向かったが、大津波の痕跡はまったく見られない。

まずは日本橋を訪問

いざ東北へ!夜が明けたばかりの日本橋を出発!

常磐自動車道のいわき勿来ICに到着

2021年も勿来漁港から旅が始まる

完成したIGPCのプラントと海岸線

小名浜では大規模な商業施設の「イオンモールいわき小名浜」が目に飛び込んでくるが、これは東日本大震災後に工事が始まり、2018年6月にオープンした。 小名浜の人気スポット「いわき・ら・ら・ミュウ」(ツーリングマップル東北5J-3/関東甲信越84J-3)を訪れたが、ここには1階、2階に何軒かのレストランがある。2階では「3・11いわき市の東日本大震災展」の展示を見たのだが、とくに目を引いたのは再現された避難所の生々しい様子。被災されたみなさんは、ダンボールで仕切られた狭いスペースで何日も何日も過ごされた。※ 「3・11いわき市の東日本大震災展」は終了しています

小名浜の「イオンモール」

小名浜漁港と新しい魚市場

「いわき・ら・ら・ミュウ」の海鮮市場通り

小名浜から「岬めぐり」を開始。 三崎(ツーリングマップル東北5J-3/関東甲信越84J-3)の展望台からは小名浜を一望する。ここは我が定点観測ポイントで、震災後の移り変わっていく小名浜の様子を見続けている。このようなカソリの定点観測ポイントは「鵜ノ子岬→尻屋崎」間に何ヵ所かある。   つづいて竜ヶ崎、合磯岬、塩屋崎、富神崎と岬をめぐったが、これらの岬は中之作漁港、江名漁港、豊間漁港、沼ノ内漁港とセットになっている。しかし、これらの漁港は風評被害でまだ本格的な操業はできず、どこも閑散としている。東京電力福島第一原子力発電所の爆発事故は、いまだに深刻な影響を福島県の太平洋岸の浜通りに与え続けている。

三崎から見下ろす小名浜

道路で切り通しとなっている竜ケ崎

中之作漁港の水門

江名漁港越しに見る合磯岬

豊間の海岸通り

県道382号で新舞子浜を走り、四倉で国道6号に合流。道の駅「よつくら港」(ツーリングマップル東北10L-5/関東甲信越92L-5)で昼食。「海鮮釜めしともりそばセット」を食べたが、そばのうまさが際立っていた。 四倉からは海沿いの県道395号を行く。この道は旧国道6号。国道6号の久之浜バイパスが完成したので旧道は県道になった。波立薬師のある波立海岸の防潮堤工事は終わり、きれいな海岸線になっている。久之浜では大津波にも残った奇跡の秋葉神社前で、東日本大震災の慰霊祭が始まろうとしていた。 久之浜の町を走り抜け、国道6号に合流。広野町を通り、楢葉町に入る。この広野と楢葉の町境が長い間、通行止地点で、警察車両が国道6号を封鎖していた。その光景が今では、まるで幻だったかのように思えてくる。楢葉町に入ったところに道の駅「ならは」があるが、ここは再開してまだまもない。道の駅「ならは」(ツーリングマップル東北10L-1/関東甲信越92L-1)の再開は楢葉町の復興におおいに弾みをつけた。 木戸川河口の天神岬(ツーリングマップル東北10M-1/関東甲信越92M-1)の展望台から太平洋岸を眺め、楢葉の町役場に隣り合った「楢葉町コミュニティセンター」での東日本大震災の慰霊祭に参列する。 大地震発生時刻の14時46分に1分間の黙とう。 そのあと松本町長の式辞を聞いた。

道の駅「よつくら港」の「海鮮釜めしともりそばセット」

楢葉町の3・11慰霊祭に参列する

楢葉の町役場からは国道6号を北へ。楢葉町と富岡町の町境を通過。ここも長い間、通行止地点になっていた。道路左側にはパトカーが常駐し、ここで折り返さなくてはならなかった。富岡町に入ると、中心街を走り抜けたところに富岡消防署があったが、国道6号が通行できるようになっても二輪車の通行止はつづき、この地点で折り返さなくてはならなかった。その富岡消防署も今では取り壊されて、更地になっている。 富岡町から大熊町、双葉町と町境を越えていくが、国道6号は今はまったく問題なく全線が走れる。規制の連続だった国道6号なだけに、夢のような気もする。 双葉町では、中心街で国道6号を左折し、国道288号を行く。国道288号の規制が解除され、県道35号まで走れるようになった。阿武隈山地の山裾を走る県道35号を今度は南へ。大熊町、富岡町、楢葉町、広野町と走り、いわき市に戻ってきた。 今晩の宿、四倉舞子温泉の「四倉よこ川荘」(ツーリングマップル東北10L-5/関東甲信越92L-5)に到着。ここで地元、楢葉町の渡辺哲さんと、毎年、3・11には被災地を走っている古山里美さんに合流。湯に入り、夕食を食べ終えると、部屋での飲み会を開始。飲みながら、『ツーリングマップル東北』の2021年度版を開き、福島・太平洋岸の浜通りを熱く語り合うのだった。

国道6号で富岡町に入る

国道6号にあったバイク通行規制の看板(2017年6月撮影)

国道6号で大熊町に入る

国道6号での武内さんとの出会い!

1日目の宿、四倉舞子温泉「四倉よこ川荘」に到着!

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