2022.06.10

 "裏"ツーリングマップル!? -地図に載せきれない・載せられない取材ネタ- Vol.9 京都の紅葉と平安京について~

ツーリングマップルでは、毎年各エリアの取材担当がバイクで実走取材を行っています。取材は春から秋にかけて合計で約30日間ほど行われ(準備期間を含めるともっと日数をかけています)、その中で、担当者はいろいろな情報を入手します。しかし実際に地図上に載る情報は、その中のごく一部にすぎません。ツーリングマップルは本なので、スペースに限りがありますし、すごくおススメなんだけどたくさんのお客さんが一度にくると対応できない施設や、いつやめるか分からないお店なども…。そんなさまざまな事情で紙面に載せられなかった情報を、今回”裏”ツーリングマップルとしてご紹介していきます。 今回は中部北陸担当の内田さんから、タイミング的に出版作業に間に合わずに載せられなかった情報をお届けします。

著・内田一成

【紅葉に彩られる11月の京都へ】


今回紹介するのは京都の紅葉。これは単に、昨年の原稿の入稿がすべて済んで、そろそろ初稿の印刷が出ようかという頃に訪ねたために、掲載に間に合わなかったもの。 11月下旬の京都は、ちょうど例年より遅い紅葉が真っ盛りで、市内のどこにいっても、侘び寂びた寺院の風景に鮮やかな紅葉のコントラストが素晴らしく、息を呑む美しさだった。 このときは、宮津から大江山のほうを通って京都市内に南下してきたが、山のほうはもう紅葉は終わりかけで、あまり期待しなかったのが、市内でおもわず盛りに出くわしたというわけ。コロナ以前のこの時期の京都は、海外からの観光客で芋を洗うような状態で、景色など楽しむ雰囲気など皆無だった。だがコロナ禍にあっては日本人客だけで、それもまばらで、思う存分景色に浸ることができた。

11月下旬の京都は、紅葉が燃えたっていた

【平安京創建の隠された歴史が伝わる崇道神社】


市内を後にして向かったのは、大原近くにある崇道(すどう)神社(ツーリングマップル中部北陸24D-6/関西56D-6付近)。 ここに祀られているのは崇道天皇だが、諡(おくりな)のそれよりも、早良親王(さわらしんのう)といったほうがわかりやすいかもしれない。 桓武天皇は、平安京を創建(794年)する前に長岡京を建設(784年)したが、その長岡京は凶事が続いたために、わずか10年で放棄されて平安京つまり今の京都に再び遷都されることになった。 長岡京で凶事が続いたのは、桓武天皇が実弟である早良親王を殺して、その怨霊が祟ったというのがもっぱらの噂だった。桓武天皇は天皇に即位する前に、父であり先帝であった光仁天皇から、ある約束をさせられていた。それは、「時期がきたら弟の早良親王に天皇位を譲位する」というものだった。

平安京創建の隠れた歴史を刻む崇道神社

【平安京創設の真の意味とは】


長岡京がもうすぐ完成するというとき、その造営長官だった藤原種継が暗殺される。その首謀者が早良親王だということで、桓武天皇は実弟を捕縛させて流刑にする。しかし、早良親王は無罪を訴え続け、流刑の途中で自ら舌を噛み切って死ぬ。 その直後から凶事が続くと同時に、桓武天皇は弟の亡霊に悩まされるようになる。平安京は、その早良親王の亡霊を慰撫するというよりも結界の中に閉じ込めるという明確な目的をもって設計されている。その結界に閉じ込められた形になっているのが、この崇道神社だ。 前に訪れたのは20年以上前だけれど、そのときは、深い谷にあるこの神社は昼でも暗く、篝火が焚かれて、参拝者も皆無で、凄愴な雰囲気が漂っていたけれど、今は、平安京創建の隠された歴史を知って、花を手向けに訪れる人も多くなり、凄愴な雰囲気は消えて、とても明るい神社になっていた。

崇道神社と平安京の位置関係

【歴史の面白さを読み解くきっかけに】


内田さんのお話、いかがだったでしょうか。私は一時期京都に住んでいたことがありますが、崇道神社には行ったことが無く、このお話にあるような歴史も知りませんでした。次回京都に行くことがあれば、訪ねてみたいと思います。 今回のお話に関連する施設やコメントはツーリングマップルには載っておらず、まさに「"裏"ツーリングマップル」でしたが、他にもたくさんの情報が掲載されているので、ぜひ地図から歴史の入口を探してみてください。

左:通常版(税込¥2,200) 右:R版(税込¥3,300)