2019.08.15

「旅」との出会いー「オフロードバイクライフ」by 博田巌 vol.1

「パリダカ」と言えば多くの人が聞いたことがある世界的ラリー(※現在は「ダカール・ラリー」と呼ばれ、レース地も異なる)です。現在「ツーリングマップル中国・四国」を担当する博田さんは、かつて「パリ・グラナダ・ダカールラリー」への参戦をはじめ、国内外のオフロードレース経験も多い方です。ツーリングマップルでは中国・四国エリアの担当者になる以前、全国の林道調査を行ったこともあります。そんな博田さんに、旅に興味を持った少年時代から、バイクに乗り始めた時期、オフロード走行の魅力などなどを語っていただきます。 ※当記事はツーリングマップル週刊メルマガにて2017年1月~2月に配信した記事を再編集したものです。

著・博田巌

旅との出会い


僕が「旅好き」になった最初のきっかけは、小学生の頃。夏休みの恒例行事だった、静岡県三島市にある母方の祖父母宅への帰省でした。 瀬戸大橋もまだなかった当時は、高知から三島といえば、丸一日の旅。 まず高知から高松まで特急に乗り、高松から宇高連絡船で瀬戸内海を渡る。宇野から岡山へは在来線で1時間以上。岡山から、新幹線ひかりで名古屋まで行き、そこからこだまに乗り換えてようやく三島に着く。そんな旅。 でも長旅は当時からまったく苦じゃありませんでした。連絡船待ちで食べた高松駅の立ち食いうどんや、各地で味わった駅弁など、美味しいものへの興味を持ったのもこの頃が始まりでした。鉄道に長く乗る、そんな旅を繰り返すうち、高学年になる頃には僕は、「時刻表」を見て自分で旅程を立てるほどの鉄道好きになっていたのです。 列車や機関車などの写真を撮るのを覚えたのもこの頃。今でいう「撮り鉄」ですね。6年生になると、人生初のプチ一人旅もしていました。乗り換えを楽しむために、わざわざ宇和島まで出かけたことも、いい思い出になっています。 中学生になると、もっぱら移動手段は「自転車」中心に。その一方で、バイクへの興味も持ち始めました。当時、バイクブームだった影響だと思います。学校が終わるといつも友人と一緒に自転車で近所の峠道へ通い、自転車でバイクの真似をして下りを攻める(?)のが楽しかったものです。 しかし前方で転んだ友人に乗り上げて、鎖骨を骨折してしまう、なんていう痛い思い出も。今では笑い話ですが、ヘルメットも被らず無茶をしていたものだと思います。 中学2年生の夏休みになると、今でも懐かしく、強烈な思い出となっている旅をしました。陸上部の先輩たちと出かけた、 「四国半周+淡路島3泊4日ツーリング」です。 【1日目】 高知から国道32号を北上、大歩危小歩危を抜け、猪ノ鼻峠を越えて香川へ。宿泊予定の五色台のキャンプ場が分かりにくく、時間がかかってしまいます。暗くなってから「飯ごう」でご飯を炊くという、いかにも計画失敗という夜だったけれど、それでも楽しい食事でした。 【2日目】 国道11号を海沿いに鳴門まで。強風のため、淡路島への渡船が欠航してしまい、急遽インターチェンジ前でヒッチハイク。運良く、優しいトラックに拾われて、無事に鳴門海峡を渡ることに成功。実はその日は、大阪城ホールで開催された佐野元春のコンサートに行く予定だったのですが、何とか無事間に合いました。 「自転車で高知から大阪城ホールへコンサートを見に行く」なんて、中学2年生ならではの行動かもしれませんね(笑)。 しかも帰りの淡路島で、先輩の一人がなんと車と衝突!幸い怪我はなかったものの、自転車が走行不能になるというハプニングもありました。 そんな風に、自転車を通じた思い出ができたこともあり、高校では「自転車部」に入部。・・・したつもりだったのですが、実は「自転車」の後に付いていた「競技」の文字をうっかり見逃していたのでした・・・。 私が入部したのは「自転車競技部」といって、その部活に入るのは、競輪選手を目指すような人たちばかりだったのです・・・。 そんな自転車「競技部」の部活は、まだ「半日授業」があった土曜日の午後から走る、「仁淀川沿い往復60kmロード練習」など、案外楽しい面もありました。 しかし競技人数が少ないがためにたまたま選ばれた、「全国選抜合宿」が壮絶でした。夏休みの「修善寺サイクルスポーツセンター」で行われたトレーニングは、人気マンガ『弱虫ペダル』にも出てくる「斜度13度の登坂走路トレーニング」など、人生で最もきつい出来事の一つと言っても過言ではありません。 今思えば、とても貴重な経験ですが、当時はきつさもあって、次第に 「自転車で競技するよりも、やっぱりバイクで自由に走りたい」 という思いが高まっていきます。 そんな時出会ったのが、ヤマハの125ccオフロードバイク、思い出のDT125R(3FW)だったのです。 (続く)