2019.09.25

「アウトドアのバイブル『遊歩大全』」キャンプツーリング徒然 by 内田一成 第2話

ツーリングマップル中部北陸版担当の内田一成さんによる、キャンプツーリングコラム。アウトドアやオートバイとの付き合いが長く、バイク誌・登山誌などでも活躍してきた内田さんの、キャンプツーリングにまつわるさまざまなエピソードをお届けします。今ではあり得ないような無茶な企画バナシに始まり、自然との対峙の仕方、焚き火や料理、ギアや各種ノウハウなど、多岐にわたるお話は、どれも興味深いものばかり。読めばきっと、外に出たくなるはず。

著・内田一成

第2話 アウトドアのバイブル『遊歩大全』


オートバイとの出会い ぼくがオートバイに乗り始めた40年あまり前は、オートバイに対する世間の目は厳しく、オートバイに乗ることイコール「暴走族」と見なされるような時代だった。 品行方正な高校生だった(笑)ぼくも、当然、オートバイには興味がなかった。高校に入ってのめり込んだのは登山で、休みになると山に通っていた。 ところが、ぼくの生まれ育った町は、関東平野が太平洋に出合う鹿島灘の一角に位置し、目立つ山といえば遠くにポツンと「キスチョコ」を置いたように見える筑波山くらいで、本格的な山へ行くとなると、バスと電車を乗り継いで何時間もかけなければならなかった。 そんなある日、仲の良かった同級生が原付二種のオートバイを買って、遊びに行こうと誘いに来た。スズキの90ccの「バンバン」というファットなタイヤを履いたレジャーバイクで、そいつに二人乗りして海岸を走った。弓なりの海岸が100kmあまりも続く鹿島灘を自由自在に走って移動できることに感激した。 同時に、体全体で風を感じて走る爽快感がとても新鮮だった。なにしろヘルメットの装着はまだ義務付けられておらず、ノーヘルで良かったのだから、その開放感は今とは比べものにならなかった。 そのオートバイ初体験で僕が真っ先に思ったのは、「オートバイがあれば、山へ行くことが楽になる」ということだった。行動範囲が飛躍的に広がることを想像して、すぐにでもオートバイを手に入れたくなった。 その頃僕は、登山用具の購入費用と夏休みに北アルプスへ行くための費用として、けっこうな額を貯めていた。それで自動二輪の免許を取り、オートバイの頭金とした。 残念だったのは、ちょうどぼくが16歳になった年から、小、中、限定なしの排気量別免許がはじまってしまったことで、仕方なく中型限定の免許を一発試験で取りに行った。 免許を取ってからオートバイを購入するまで少し間があったが、その間にいろいろ研究すると、「トレール」という種類のオートバイがあることを知り、これが自分の山へ行くための用途としていちばんマッチしていると判断した。なにしろ、当時は県道でも未舗装のところが多く、山へのアプローチは100パーセントダートだった。 ちょうど賀曽利さんがスズキのハスラー250で、サハラ砂漠の縦断に成功し、その記事がオートバイ誌に載っていて、それがさらにトレールバイクを買おうという気持ちを後押ししてくれた。 ぼくの足となったオートバイは、賀曽利さんのバイクの弟分であるハスラー125。今のオフロードモデルは軽量化のためにプラスチック部品が多用されているが、当時はスチールのタンクにラメの入ったグリーンの塗装で、ウインカーやメーター回り、ハンドルもピカピカのシルバーメッキのパーツで構成されて、ただ眺めているだけでもうっとりするような仕上がりだった。 ・・・と、このまま話を続けていくと「懐かしのオートバイ」になってしまうので、表題の話に軌道修正しよう。 『遊歩大全』とは オートバイに出会ったことで、16歳のぼくが体験する世界は、それまでよりも格段に広がった。さらに、ちょうど同じ時期に、アウトドア体験を深化させてくれた本との出会いがあった。それが今回紹介する『遊歩大全』だ。 『遊歩大全』の原題は『Complete Walker』で、アメリカのバックパッカーであるコリン・フレッチャーが自分のウィルダネス(荒野)でのロングウォークの体験を元に、アウトドアのギア選びから、様々なノウハウ、さらに大自然の中に一人で身を置くことで思索した哲学が綴られている。 原作の初版は1968年に発行、すぐに改訂版が出て、その邦訳が『遊歩大全』として1974年に刊行された。ぼくがこの本に出会ったのは、日本版が出て2年後だった。 原作でも同じだが、コリン・フレッチャーが背負うバックパックの中身が全て並べられた写真の表紙が印象的で、必要なものはすべて網羅しながら、コンパクトにまとまったこの装備がとにかくカッコ良かった。 そして、家(ソフトハウス)と生活道具、食料を自分の背中に担いで、好きなところに旅するバックパッキングの世界が輝いて見えた。 『遊歩大全』の訳者、芦沢一洋さんは日本のアウトドアライフの第一人者で名文家としても知られていた。その芦沢さんの訳は、自然描写では臨場感にあふれ、道具の解説はとてもわかりやすく、しかもアメリカでのアウトドア体験も豊富で、自然も用具もディテールまで理解している人らしく、まだ日本では浸透していなかった用具やその使用法を伝えるのに独自の用語も開発して、この本を通じて、日本に新しいアウトドアの息吹を吹き込んだ。 それまでの日本のアウトドア関連の本といえば、大学山岳部が持ち込んだドイツ語の登山用語と軍隊用語がミックスされた堅苦しい表現のものばかりだった。例えば、シュラフやザイルといった用語や、「頂上をアタックする」といった言い回しで、それが『遊歩大全』では、スリーピングバッグ、クライミングロープ、「ピークハント」となり、なんだか気分的にも軽やかになった気がしたものだ。 芦沢さんは、後にぼくが山と渓谷社で仕事をするようになったときに、アートディレクターをなさっていて、個人的にも親交をもたせてもらうことになったが、高校生だった当時のぼくには、まさか将来芦沢さんと繋がりができるとは想像もできなかった。 『遊歩大全』は、次のような文で始まる。 「テレビ、ヘロイン、株式相場。ひたすらのめりこみ、常習患者になりがちなこれらの楽しみに、ウォーキング、すなわち“歩く”という行動もつながっているような気がする。だが、精神病的な偏執さに陥りかねないこれらの狂気の中で、ウォーキングだけは少し異質だなと感じられるのは、その狂気が快いものであり、精神の健全さにつながっていくからであろう……身も心もひどく痛めつけられ、傷ついたときでも、薬の世話にならずに元気を回復できる唯一の妙薬が、このウォーキングだからである」 これは、ライダーにとってのツーリングの効能にも相通じるものがあると思う。 ぼくは、後に登山のための交通手段としてだけでなく、オートバイツーリングにものめり込み、エンデューロレースやデザートレースも走ることになったが、あらゆる局面で『遊歩大全』に書かれたノウハウや、コリン・ウィルソンが大自然と向きあう中で展開した思索、それに体験に根ざした具体的なサバイバルテクニックがとても役に立った。 普遍の哲学 『遊歩大全』の日本版は、長く絶版になってしまい、訳者の芦沢一洋さんも1996年に早逝されてしまった。原作者のコリン・フレッチャーは2007年に亡くなったが、その息子が『Complete Walker』の改訂版の発行を続け、今は第四版が出版されている。芦沢さんが生きておられれば、三版も四版もわくわくするような名文で綴ってくれただろうにと残念で仕方ない。 そんな中、昨年、山と渓谷社から文庫版で、芦沢一洋訳の第二版が刊行されるといううれしい出来事があった。さっそくそれを手に入れ、今では座右の銘としている。 用具などは、今では格段に進歩しているが、アウトドアで過ごすという行為は普遍的であり、コリン・フレッチャーの哲学は、ちっとも色あせていない。いや、色あせていないどころか、自然と向き合って、その空気を繊細に感じ取るということを忘れがちな今のぼくたちにとっては、とても新鮮に感じられるはずだ。 ソロでキャンプをしていると、風や木々のざわめき、太陽の輝きや星の瞬きといった自然の息吹の一つ一つが語りかけてくるように感じる。自分が感じる一瞬一瞬の自然との対話をコリン・フレッチャーや芦沢さんならどのように受け取り、どんなふうに表現するだろうかと思う。そして、自分なりにそれを表現してみようと思うと、キャンプの夜がとても豊穣になる。 ぼくは、『遊歩大全』を精緻なノウハウであり、同時に「フィールハウ」を教えてくれるアウトドアのバイブルだと思っている。自分の自然体験とその内容を対比したり、キャンプの夜に一章を紐解いてそこに書かれた言葉をじっくりと咀嚼(そしゃく)したり、また仕事でデスクに張り付いていなければならないときは、休憩時間にパラパラとめくって、風景描写を具体的に思い描いてみたり、つねに傍らにこの本を置いておくことで、いつも爽やかなアウトドアの空気が身近に感じられる。 今、文庫版として手に取りやすくなった『遊歩大全』をぜひ一読することをお勧めしたい。とくにソロでキャンプをすることが多いツーリングライダーが紐解けは、キャンプライフの楽しみと深みが格段に増すこと請け合いだ。

(続く) ※当記事はツーリングマップル週刊メルマガにて2015年1月~3月に配信した記事を再編集したものです。

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