
Touring
2025.04.07
2025春の東北おすすめツーリングコース【日帰り編】
もうすぐ春ですね。冬の間は乗れなかったけれど、そろそろオートバイで旅に出られるかなとソワソワ、ワクワクしていませんか?そこで、今年のツーリングシーズンスタートにおすすめの「春を感じられる」コースを、ツーリングマップル 各エリア取材担当者から紹介していただきます。 今回は東北の「2025春のおすすめルート」日帰り編です。
「牡鹿半島一周+金華山」コース
今回ご紹介するのは、宮城県仙台市から東方面、三陸自動車道「多賀城IC」を出発点にしての日帰りコースです。陸奥(むつ)国府だった多賀城や、鹽竈神社(しおがまじんじゃ)に寄って石巻へ。そこから牡鹿半島に入り、「鯨の町」鮎川に到着です。そこから船に乗って「金華山」に渡り、金運の黄金山神社を参拝しましょう。御神木の「金華山の大欅」が目をひきます。鮎川に戻ると鯨料理を食べ、女川まで走ります。

県道2号で牡鹿半島を南下

鮎川から船に乗って金華山に渡る
コース概要
START:多賀城IC ➡ツーリングマップル東北 P.34 L-3 GOAL:JR女川駅 ➡ツーリングマップル東北 P.42 A-6 多賀城では陸奥国府跡、塩竃では鹽竈神社に寄っていきます。日本三景の松島を通り石巻へ。石巻から牡鹿半島に入ります。 牡鹿半島西海岸を南下して鮎川へ。鮎河からは金華山への航路があり、2時間半から3時間で行って帰ることができます。鮎川から牡鹿半島南端の山鳥渡(やまどりわたし)まで行き、そこからは快適なワインディング走行を楽しめるコバルトラインで女川へ。ゴールのJR女川駅では駅舎内の女川温泉「ゆぽっぽ」に入って帰りましょう~!

1.多賀城
多賀城ICから陸奥国府の多賀城政庁跡[ツーリングマップル東北 P.34 L-3]へ。ここには国衙跡が残されています。国衙というのは国府の政庁のことで、今の時代の県庁のようなものです。

陸奥国府跡を歩く

陸奥国府政庁の復元模型
多賀城は一辺が約1キロの外郭で囲まれ、南・東・西には門が開かれていました。そのほぼ中央に政庁が置かれていたのです。10世紀の後半までは陸奥国府として機能していました。

復元された多賀城の政庁南門

陸奥国府政庁南門の復元図
多賀城の国府跡の隣りには日本三大古碑の「多賀城碑(壷碑)」があります。それには次のように、当時の日本にあった国の境界からの距離が書かれています。 多賀城 京去 一千五百里 蝦夷国界去 一百二十里 常陸国界去 四百十二里 下野国界去 二百七十四里

国宝に指定されている、日本三大古碑の多賀城碑(壺碑)
2.塩竃
塩釜港から塩竃の町中に入り、1200年前に創建された陸奥一宮の鹽竈神社(しおがまじんじゃ)[ツーリングマップル東北 P.34 M-3]を参拝します。表参道の202段の長い石段を登り、楼門、唐門をくぐり、豪壮な造りの拝殿へ。

陸奥一宮の鹽竈神社に咲く白梅の花

鹽竈神社の境内案内図

鹽竈神社の楼門

鹽竈神社の唐門
伊達家の4代目、5代目藩主が9年の歳月をかけて造営したとのことです。鹽竈神社は多賀城の守護神であり、塩竃の町は鹽竈神社の門前町として発展しました。塩釜港は多賀城の外港だったのです。

鹽竈神社の狛犬

鹽竈神社の拝殿。右手が左宮、左手が右宮になる
3.石巻
国道45号で石巻に到着したら、日和山(ひよりやま)[ツーリングマップル東北 P.41 I-7]へ。そこには芭蕉と曽良の像が建っています。曽良が芭蕉の背中を押して歩いている像。旅の辛さ、苦しさが伝わってくかのようです。

石巻の中心街を行く

日和山の芭蕉と曽良の像
日和山の一帯は日和山公園になっていますが、ここは中世の石巻城址。案内板には次のように書かれています。 「文治5年(1189年)の奥州合戦の恩賞として、源頼朝の家人葛西清重は、牡鹿郡ほか数か所の所領を給付されました。以後、天正18年(1590年)に豊臣秀吉によって滅ぼされるまでの400年間、牡鹿郡は葛西氏の重要な所領であり、なかでも石巻の日和山は、その居城があったところという伝承が残っています」

日和山の茶店

茶店の「みそおでん」

「焼きそば」とてもオーソドックスな見た目。
日和山には式内社である鹿島御児神社がまつられていますが、そこからの眺めは絶景です。旧北上川の河口にかかる日和橋が正面に見え、海上には石巻湾に浮かぶ田代島と網地島が見えます。左手には長々と連なる牡鹿半島の山並みも見えます。

日和山の式内社である鹿島御児神社を参拝

日和山からの眺め。旧北上川の河口にかかる日和大橋が見える

別方向を見る。新しくできたみなと大橋を見下ろす

こちらは東日本大震災以前の日和山からの眺め

日和山下の旧門脇小学校は震災遺構だ
4.石巻から牡鹿半島を巡り鮎川へ
石巻の渡波から県道2号で風越峠を越えて牡鹿半島に入っていきます。桃浦、月浦、侍浜、萩浜…と、牡鹿半島西海岸の漁港を見ていきます。

牡鹿半島の桃浦漁港
そのうちの月浦[ツーリングマップル東北 P.35 M-1]は慶長18年(1613年)に伊達政宗の命を受けた支倉常長の一行がローマに向かって船出した地です。月浦入口の高台には支倉常長の像とその航路を示す「慶長遣欧使節支倉常長の航海図」と題した航海碑が建っています。太平洋を横断し、大西洋を横断して地中海に入っていく大航海図がそれには描かれています。

月浦の支倉常長像
東日本大震災の大津波で大被害を受けた牡鹿半島の西海岸ですが復興は進み、漁港は整備され、大防潮堤もほぼ完成しています。県道2号は高台移転され、多くの集落も高台移転されました。そんな新しい牡鹿半島が見られます。

月浦漁港

こちらではメカブの収穫中
5.金華山
鮎川はかつては日本の捕鯨基地としておおいに栄えました。昭和20年代の後半がピークで、その当時は年間6000頭が水揚げされたといいます。浜には30軒以上の解体屋が並び、20隻以上もの捕鯨船が活躍していたのです。

鮎川の「ホエールタウンおしか」[ツーリングマップル東北 P.36 C-4]
そんな鮎川港からは観光船で金華山に渡れます。金華山までは20分の船旅。牡鹿半島最南端の岬、黒崎のすぐ近くを通るので、岬突端の岩場や高台上の灯台がよく見えます。

鮎川の金華山行きの船乗場

金華山観光クルーズが運航している定期船「ホエール」に乗船

鮎川港を出ると目の前に網地島(あじしま)が見える
「みちのく山に黄金花咲く」 と詠まれた黄金伝説の金華山に着くと鹿のお出迎え。金華山黄金山神社[ツーリングマップル東北 P.36 D-4]へ松林の中を歩きます。最後は息を切らして急な石段を登り、金運の黄金山神社に参拝。御神木の「金華山の大欅」が目に残ります。

黄金山神社の鳥居

黄金山神社の拝殿

金華山の大欅
鮎川の「黄金寿司」(ホエールタウンおしか内)では「鯨ユッケ丼」が食べられます。そのほかにも「鯨の刺身の盛合わせ」、「鯨の握りずし」、「鯨入りの海鮮丼」などの鯨メニューがあります。鯨こそまさに鮎川の味覚なのです。

「黄金寿司」で「鯨ユッケ丼」を食べる
6.コバルトライン
鮎川から御番所公園に行くと、金華山が目の前に見えます。高台上の道を走り山鳥渡へ。そこから我らライダーに人気のコバルトラインに入ります。

牡鹿半島南端の山鳥渡からコバルトラインを北へ

コバルトラインから見る田代島
嵐峠を越えると女川町に入りますが、大六天駐車場[ツーリングマップル東北 P.42 A-7]にはぜひとも立ち寄っていきましょう。ここは絶好の展望台で女川湾を一望できます。2024年12月に開通した出島大橋でつながった出島(いずしま)や、女川湾に浮かぶ島々が見えます。はるか遠くには金華山もみえます。

大六天の駐車場。ここからは出島が見える
女川で国道398号の新道に合流。復興を続ける女川の町に入り、石巻線の終着駅、JR女川駅にゴール。駅舎内にある女川温泉「ゆぽっぽ」[ツーリングマップル東北 P.42 A-6]の湯にどっぷりとつかってから帰路につきましょう。

女川にゴール。ここは石巻線の終着駅、JR女川駅