2021.04.26

【10年目の東北太平洋沿岸をカソリが行く!<第3回> 】

賀曽利さんの「鵜ノ子岬→尻屋崎」。3日目をお届けします。※被災当時の画像の掲載があります。ご注意ください

著・賀曽利隆

震災直後の女川は、今は幻…


3月13日。6時に朝食を食べ、6時45分に「サンファンヴィレッジ」(ツーリングマップル東北41K-7)を出発。今日も一日、渡辺さんは同行してくれる。2台のVストローム250を北へと走らせる。 国道398号で万石浦沿いに走り、ゆるやかな峠を越えて、女川湾岸の女川の町に入っていく。石巻は曇りだが、女川は雨。このあとずっと冷たい雨に降られることになる。 女川の大津波直後の壊滅した町の姿はまるで幻だったかのように、盛土工事の終わった造成地には、次々に家が建ち始めていて、スーパーマーケットの「おんまえや」も完成、営業している。 我が定点観察ポイントの「女川町地域医療センター」から、今の女川を見下ろす。ここは以前の「女川町民病院」。盛土工事はすでに終わっているので、女川の町は全体が高くなっている。以前はここから町を見下ろしていたが、今では舞台がせり上がったかのように見える。 つづいてJR石巻線の終着駅、女川駅へ。きれいな駅舎の2階には日帰り湯の「女川温泉ゆぽっぽ」(ツーリングマップル東北42A-6)がある。駅前広場から海に向かった一帯には新しい商店街ができている。

「サンファンヴィレッジ」の朝食

「サンファンヴィレッジ」を出発!

「女川町地域医療センター」から見る今の女川

JR石巻線の終着駅、女川駅

東日本大震災直後の女川町の光景

復興が進む雄勝の町


女川を出発。かさ上げされた国道398号を走る。女川を過ぎると国道398号の交通量はガクッと減る。 三陸のリアス式海岸を行く。尾浦漁港(ツーリングマップル東北42B-6)でVストローム250を止めたが、岸壁は整備され、漁港は活況を呈しているように見える。高台移転した団地も出来ている。漁民のみなさんはその高台の家から車で漁港に通う。 目の前に見える出島への架橋工事も進んでいる。完成したらすぐに渡ろう! 国道398号で再度、石巻市に入った。旧雄勝町に入ったのだ。ここからは雄勝湾を右手に見ながら走り、かつての雄勝の町の中心街へ。 東日本大震災の大津波で雄勝の町は消え去った。震災以降、雄勝はまるで見捨てられたかのように、復興は遅々として進まなかった。それがここへきて、一気に復興が進んでいる。巨大な防潮堤が完成し、高台移転した町が姿を見せ始め、高台に移された県道238号も完成している。 さらに「雄勝硯伝統産業会館」(ツーリングマップル東北42B-4)や観光物産交流施設「おがつ・たなこや」(ツーリングマップル東北42B-4)も完成している。雄勝は硯の名産地。震災直後の雄勝が目に浮かぶ。公民館の屋上まで流されたバスが見られたが、今ではその跡形もない。 ※「雄勝硯伝統産業会館」、観光物産交流施設「おがつ・たなこや」は2021年4月1日から道の駅「硯上の里おがつ」になりました

尾浦漁港

完成した「雄勝硯伝統産業会館」

高台移転した雄勝の町

完成した雄勝の巨大防潮堤

東日本大震災直後の雄勝町。バスが公民館に乗り上げていた

北上川の河口へ


雄勝から国道398号で釜谷峠を越え、大川小学校(ツーリングマップル東北42A-3)へ。しかし、震災遺構として保存されることになった大川小学校は公開に向けての工事中で近づくことはできなかった。 北上川にかかる新北上大橋を渡る。北上川の最下流にかかるこの橋は東日本大震災の大津波で一部が落橋し、ずいぶんと長い間、迂回しなくてはならなかった。 新北上大橋を渡り、北上川の堤防上の道を行く。堤防上の2車線の道は完成し、気持ちよく走れる快走路に変っている。 白浜海岸でVストローム250を止め、そこから広々とした北上川の河口を眺めた。北上川は東北第一の大河だ。

国道398号の釜谷峠を越える

大川小学校の今

新北上大橋を渡る

北上川の堤防上の道を行く

北上川の河口を見る

南三陸町の「防災センター」


北上川河口の風景を目に焼き付けたところで、三陸海岸の名勝、神割崎(ツーリングマップル東北48C-6)に立ち寄り、南三陸町に入っていく。国道398号の新道は完成し、スムーズに国道45号に合流できる。 国道45号に入ると、志津川湾を右手に見ながら南三陸町の中心、志津川の町に入っていく。志津川を貫く国道45号はすでに完成しているが、仮設だった「南三陸さんさん商店街」(ツーリングマップル東北48A-5)は新しい商店街となって、国道45号のすぐ脇に移っている。 「南三陸さんさん商店街」から、「南三陸町震災復興祈念公園」に渡る歩行者用の中橋が完成した。平成三陸大津波のシンボル的存在の「南三陸町防災対策庁舎」(ツーリングマップル東北48A-5)を見て、スロープ状の道を歩いて、「南三陸町震災復興祈念公園」の展望台に立った。そこから見渡す志津川の風景は、復興にはまだほど遠い。震災直後の志津川で思い出すのは、大津波で流された蒸気機関車のC58。松原公園に展示されていたものだが、今はどうなったのか…。

三陸海岸の名勝、神割崎

南三陸町の「南三陸さんさん商店街」

「南三陸町震災復興祈念公園」に渡る中橋

南三陸町の「南三陸町防災対策庁舎」

大津波で流された蒸気機関車

気仙沼市の今


国道45号で南三陸町から気仙沼市へ。気仙沼の中心街に入ると、まずは南気仙沼に行く。この一帯は大津波に襲われ、震災直後はすさまじい惨状だった。JR気仙沼線の南気仙沼駅の駅前は1年たっても浸水したままで、何台ものバスの残骸がそのまま残っていた。 その南気仙沼は一変した。土地のかさ上げ工事は終わり、新しい造成地に建物が建ち始めている。高層の公営災害住宅も完成している。JR気仙沼線はBRT(バス高速輸送システム)に変り、専用軌道の新しいバス停(南気仙沼駅)が完成している。 南気仙沼から気仙沼の心臓部の気仙沼漁港へ。漁港には何隻もの大型漁船が停泊しているが、漁港周辺の復興は遅れている。大津波と大火に見舞われた鹿折地区は盛土工事も終わり、造成地には水産加工場や新しい建物が建ち始めている。ここでは震災直後、陸に乗り上げた大型漁船の下をかいぐぐってバイクを走らせたシーンが思い出されてならなかった。

完成したJR気仙沼線の南気仙沼駅。BRTが走っている

南気仙沼のかさ上げされた造成地

気仙沼漁港

復興が進む鹿折地区。近くに三陸道の気仙沼北ICが完成した

震災直後の鹿折地区。乗り上げた船の下をかいくぐってバイクを走らせた

陸前高田から大船渡へ


気仙沼を出発し、国道45号で岩手県に入る。気仙川にかかる新しい気仙大橋を渡って陸前高田へ。国道45号沿いの道の駅「高田松原」(ツーリングマップル東北53F-2)で、Vストローム250を止める。 「東日本大震災津波伝承館」を見学したあと、「たかたのごはん」で昼食。ここでは「たかた丼」を食べた。広田湾のカキ、三陸のイクラ、三陸のメカブを使った「たかた丼」は美味。 隣の旧道の駅「高田松原」は震災遺構になっているが、まだ見られるような状態ではない。国道45号沿いの陸前高田は東日本大震災から10年たった今も、震災直後と何ら変わりがないといっていいほど復興が遅れている。 雨はいよいよ激しさを増す。同行してくれている渡辺さんと励ましあって2台のVストローム250を走らせる。 国道45号で通岡峠を越え、大船渡市に入る。大船渡漁港とその周辺の復興は進んでいるが、かつての大船渡の中心街の復興はまだ遠い。大船渡からゆるやかな登り坂を登ると盛だが、隣り合った盛の町は大津波の影響をほとんど受けていない。わずかな高度差で明暗を分けるのが津波被害だ。 盛駅前でVストローム250を止め、缶コーヒーを飲んでひと息入れる。ここはJR大船渡線の終点であり、三陸鉄道の始発駅になっている。JR大船渡線は一関から気仙沼までは鉄道で、気仙沼から盛までは専用道路(一部区間は一般道)のBRT(バス高速輸送システム)。赤いバスが走っている。

道の駅「高田松原」の「たかた丼」

陸前高田を通る震災直後の国道45号

陸前高田を通る国道45号の今

大船渡市のかつての中心街

JR大船渡線(右)と三陸鉄道の盛駅

三陸海岸を行く


大船渡から国道45号で釜石に向かう。三陸道が完成しているので、国道45号は楽々走れる。大峠、羅生峠、鍬台峠と峠を越えていくが、国道45号の峠越えもずいぶん楽になった。 釜石に到着すると中心街を走り、釜石港まで行く。釜石の町はすっかりきれいになった。釜石港も漁港には新しい魚市場が完成し、食事もできる「魚河岸テラス」もできている。大津波ではパナマ船籍の貨物船「ASIASYMPHONY号」(4724トン)が乗り上げ、堤防を突き破ったが、岸壁はきれいに整備され、新しい防潮堤も完成、今ではその跡すらわからない。 釜石を出発すると鵜住居(うのすまい)を通り、大槌町に入る。 大槌町の中心街のかさ上げした土地の造成はすでに終わり、町を貫く国道45号の旧道は新しく付け替えられ、新しい道路沿いには新しい建物が次々にできている。 大槌町では地震発生時、町役場前で防災会議を開き、当時の町長や町役場の職員40人が亡くなった。その旧町役場を巡って震災遺構として残そうという意見と、一日も早く撤去して欲しいという意見が激しくぶつかり合った。結局、撤去されて今では更地になっている。 大槌町から山田町に入る。大津波で町が壊滅した山田では、新しい町を建設中。高層の災害公営住宅が完成し、町中を貫く国道45号も整備されている。町をグルリと取り囲む巨大防潮堤も完成間近だ。町全体がかさ上げされているので、高台の町役場前から見下ろす新しい町は、町役場との高低差がなくなり、すぐ下に見えるようになった。 山田が今晩の宿。三陸鉄道の陸中山田駅に近いうみねこ温泉「湯らっくす」(ツーリングマップル東北65D-3)に泊まった。すぐさま大浴場の湯につかり、まずは体をあたためる。湯から上がると渡辺さんと陸中山田駅前の居酒屋「四季海郷」に行き、 「よくぞ冷たい雨の中を走りつづけました」 と生ビールで乾杯し、鮮度満点の「海鮮丼」を食べた。駅前に完成した「スーパーマーケット」で買い物をして宿に戻ったが、陸中山田駅といい、温泉宿、駅前の居酒屋、スーパーマーケット…と、山田の町はここまで復興している。

整備されてすっかりきれいになった釜石港

震災直後の釜石港。大型貨物船が乗り上げていた

大槌町の旧役場跡。今では更地になっている

山田の居酒屋「四季海郷」で渡辺さんと生ビールで乾杯!

居酒屋「四季海郷」の「海鮮丼」

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