2021.05.12

 【10年目の東北太平洋沿岸をカソリが行く!<第4回> 】

賀曽利さんの「鵜ノ子岬→尻屋崎」。4日目をお届けします。※被災当時の画像の掲載があります。ご注意ください

著・賀曽利隆

陸中山田駅前での渡辺哲さんとの別れ


3月14日。夜明けとともに起きる。 外を見ると、前日につづいてザーザー降りの雨。ガックリ…。 山田のうみねこ温泉「湯らっくす」(ツーリングマップル東北65D-3)の部屋で、朝食にする。前夜、三陸鉄道の陸中山田駅前のスーパーで買ったコッペパンとバナナを食べ、コーヒー牛乳を飲んだ。 「さー、がんばろう!」 と気合を入れて、6時に宿を出る。ここまで3日間、同行してくれた渡辺哲さんと陸中山田駅まで走り、そこで別れた。渡辺さんは山田から南下し、いわき市に帰っていく。

山田の夜明け。雨が降っている

山田のうみねこ温泉「湯らっくす」前に立つ渡辺さん

風車をイメージしたユニークなデザインの三陸鉄道の陸中山田駅。ここで渡辺さんと別れる

東日本大震災以前、山田には三陸山田温泉があった

山田の「津波記念碑」


三陸鉄道の陸中山田駅から、高台の山田町役場に行く。その隣には八幡宮があり、参道の入口には「津波記念碑」が建っている。それは1933年3月3日の昭和三陸大津波の後に建てられたものだ。 山田の「津波記念碑」(ツーリングマップル東北65D-2)には次のように書かれている。 大地震のあとには津波が来る 地震があったら高い所に集まれ 津波に追われたら何所でも此所位高い所へ登れ 遠くへ逃げては津波に追い付かれる。近くの高い所を用意して置け 県指定の住宅適地より低い所へ家を建てるな 山田の町役場は「津波記念碑」の教えを忠実に守り、それと同じ高さのところに建っているので、今回の平成三陸大津波でも無事だった。 それに対して山田の町は「津波記念碑」の教えを無視し、それよりも下に町並みを再建した。そのため明治三陸大津波、昭和三陸大津波にひきつづいて、今回の平成三陸大津波でも、山田の町は壊滅した。かさ上げして復興中の山田の町は、八幡神社とそれほど変わらない高さになった。 山田湾の青い海には以前のように、海を埋め尽くす養殖用の筏が見られるようになった。巨大防潮堤に囲まれた山田漁港には活気が戻っている。おびただしい数のカモメが、漁獲量が増えていることを証明していた。

山田の八幡宮

八幡宮の参道に建つ「津波記念碑」

東日本大震災以前の山田町の様子。山田漁港(左)、国道45号沿いの町並み(右上)、当時はJRの路線だった山田線の陸中山田駅前(右下)

なつかしの宮古湾温泉


山田から国道45号で宮古へ。 ブナ峠を越え、豊間根(とよまね)を過ぎると宮古市に入る。宮古湾岸の巨大防潮堤は完成している。国道45号沿いの「ファミリーマート 宮古金浜店」(ツーリングマップル東北70D-5付近)でVストローム250を止めてコーヒータイム。雨宿りしながら暖かいコーヒーを飲む。 東日本大震災以前は、ここに宮古湾温泉「MARS」があった。何度も入ったなつかしの温泉。湯上りにはレストランで食事をした。ここで食べた「海鮮丼」や「とんかつ定食」は忘れられない。宿泊したこともある「MARS」だが、大津波で破壊され、その後とり壊され、今は跡形もない。 宮古に到着すると、宮古漁港に行く。漁港を取り囲む巨大防潮堤は完成している。宮古漁港の魚市場前の岸壁には、ズラリと大型漁船が停泊している。復興している宮古を印象づけるものだった。

宮古湾岸の巨大防潮堤は完成している

ファミリーマート 宮古金浜店。ここに宮古湾温泉があった

思い出の宮古湾温泉「MARS」(東日本大震災以前に撮影)

宮古に到着!

宮古漁港の魚市場前の岸壁

3度の大津波で3度全滅した田老の町


宮古から国道45号で田老へ。雨は雪に変わる。チラチラ舞う程度で路面に積もるほどではない。宮古を過ぎると雪に降られるのは、この時期の「鵜ノ子岬→尻屋崎」ではよくあることだ。ボソボソ降る雪で走れなくなり、「グリーンピア三陸みやこ」(ツーリングマップル東北76E-6)に泊まったこともある。 三陸鉄道の田老駅前の大規模な太陽光発電所は完成している。かつての市街地の中心部には野球場ができている。その隣りに道の駅「たろう」(ツーリングマップル東北76E-1)が移転している。 道の駅「たろう」に貼られた復興道路開通のポスターが踊っている。岩手県内の三陸道は全線開通が見えてきた。宮古盛岡横断道路は完成目前(3月28日に全線開通)、「釜石~花巻」の釜石道はすでに完成している。これらの3道路は三陸復興の大きな力になることだろう。 田老は東日本大震災以前は、総延長2433メートルの巨大防潮堤で囲まれていた。城壁のような巨大防潮堤は「世界最強の防潮堤」といわれ、旧田老町は「津波防災の町」宣言をした。この巨大防潮堤が大津波から町を守ってくれると誰もが信じていた。 それが今回の「平成三陸大津波」では、まったく役にたたなかった。高さ30メートルを超える大津波は海側の巨大防潮堤を一瞬のうちに破壊し、内陸側の巨大防潮堤を軽々と乗り越え、185人もの犠牲者を出した。田老の防潮堤は二重構造で、中心点から東西南北の4方向に延びるX字型をしていた。そのうち残ったのは内陸側の2方向だけ。 田老は「明治三陸大津波」、「昭和三陸大津波」につづいて、今回の「平成三陸大津波」でも町は全滅。道の駅「たろう」の「たろう潮里ステーション」は、津波災害を後世に伝えるための施設なのだ。 大津波によって破壊された防潮堤の一部は震災遺構として残された。6階建の「たろう観光ホテル」(ツーリングマップル東北70E-1)も震災遺構として残され、見学できるようになっている。 付け替え工事の終わった国道45号沿いには店が建ち始め、新しい家も建ち始めている。国道45号を右に折れ、坂道を登ると、高台移転した新しい田老が見られる。造成地を埋め尽くして瀟洒な家々が建ち並んでいる。

国道45号で田老に入っていく

道の駅「たろう」には「たろう潮里ステーション」がある

復興道路開通を知らせるポスター

東日本大震災直後の田老

2012年の「鵜ノ子岬→尻屋崎」での田老は雪景色

雪のために岬めぐりを断念


宮古市から岩泉町に入ると、小本温泉に寄っていく。ここは東日本大震災の後、営業を再開するかのように見えたが、結局、廃業湯になってしまった。三陸海岸では本格的な温泉で、ここには何度か泊まっているので残念でならない。 田野畑村に入ると、国道45号から海沿いの県道44号に入る。県道44号は絶景ルート。観光船が出る田野畑漁港の前を通り、三陸鉄道の田野畑駅でVストローム250を止めて小休止。ここからは岬めぐりだ。 しかし、弁天崎、北山崎、黒崎と岬めぐりをするはずだったが、県道44号は通行止。う回路を登っていくと、路面には雪が積もり、ツルツル滑って登れない。「岬めぐり」は断念し、来た道を引き返して国道45号に戻った。

廃業になってしまった小本温泉

在りし日の小本温泉

三陸道と並走する国道45号

県道44号は通行止

う回路はツルツル滑って登れない…

普代は巨大防潮堤と巨大水門で守られた


国道45号で田野畑村から普代村に向かっていく。国道45号最高所の閉伊坂峠を越えようとしたのだが、ズボズボの雪なので断念し、三陸道の尾肝要(おかんよう)トンネルを走り抜けた。といっても、トンネル内のアイスバーンで転倒したらどうしようとヒヤヒヤだ。幸いにも尾肝要トンネルには凍結箇所もなく、無事に走り抜けられた。 普代村に入ると、三陸鉄道の普代駅前でVストローム250を止めた。雪は雨に変わった。身を切られるような冷たい雨でガタガタ震えたが、雪よりはまだましというものだ。 普代漁港の大田名部は巨大防潮堤によって、大津波から守られた。普代の巨大防潮堤は高さ11.6メートルの大津波をはじき返し、大田名部の集落に被害は出なかった。普代川河口の高さ15.5メートルの巨大な水門は、普代の町を大津波から守った。 普代も大津波の常襲地帯で、明治三陸大津波(1896年)では302人、昭和三陸大津波(1933年)では137人の死者を出している。しかし今回の平成三陸大津波(2011年)では、巨大防潮堤と巨大水門のおかげで大津波による死者はゼロだった。 国道45号で普代村から野田村に入る。大津波で大きな被害を受けた野田村だが、ここでは海岸一帯に海と町を分ける公園ができている。野田漁港の水門は完成し、延々と延びる巨大防潮堤も完成している。 道の駅「のだ」(ツーリングマップル東北81L-3)で昼食。「磯重」を食べた。ホタテとウニを卵とじにしたもの。タコの酢の物がついている。いやー、生き返った。

三陸鉄道の普代駅前に到着

野田村の国道45号を行く

野田村の海と町を分ける公園

道の駅「のだ」の「磯重」。この食事のおかげで生き返った!

三陸道の全線開通が見えてきた


久慈に到着。久慈では三陸道の建設工事が急ピッチで進んでいる。いままでの久慈道路は三陸道の一部になり、久慈ICから上がるようになっている。次の久慈北ICで三陸道を降り、国道45号を北上したが、久慈北ICからはさらに侍浜南、侍浜、洋野有家、洋野宿戸、洋野種市の各ICを通って青森県境を越え、階上ICで青森県内の三陸道にドッキングする。久慈から北、岩手県内の三陸道の全線開通は目前。今回の「鵜ノ子岬→尻屋崎」の復路編では、「八戸~仙台間」の三陸道の開通区間はすべて走るつもりだ。 国道45号を北上し、岩手・青森県境を越えた。八戸に到着。八戸市内に入ると雨は止み、ほっとしたが、三沢まで来ると雪が降り出した。が、路面に積もるほどの雪ではないので助かった。我慢、我慢の尻屋崎だ。 ※国道45号・三陸自動車道の「洋野種市IC〜侍浜IC」間は2021年3月20日(土曜)に開通しました。また、久慈市から宮古市の間の2区間が2021年内の開通予定で工事が進んでいて、ここの開通で宮城県仙台市と青森県八戸市を結ぶ三陸自動車道が全通となる予定です。(編集部)

久慈ICから三陸道に上がる。岩手県内の三陸道の全線開通が見えてきた

国道45号で岩手県と青森県の県境を越える

国道45号を行く。冷たい雨が降りつづく

八戸到着。八戸市内では雨が上がり、ほっとしたのだが…

三沢の仏沼(ほとけぬま)(ツーリングマップル東北95L-2)。ここではまだ雪が残っている

尻屋崎に到着!!だが…


三沢から国道338号で下北半島を北上。 六ヶ所村から東通村に入り、東北電力の東通原子力発電所を過ぎたところで、尻屋崎への快走路、県道248号を行く。 「助かった」 路面には、ほとんど雪は積もっていない。シャーベット状になった雪で滑らないように気をつけて走り、津軽海峡沿いの県道6号に出た。三菱マテリアルのセメント工場を過ぎると、尻屋崎入口のゲートに到着。尻屋崎はまだ冬期閉鎖なので、尻屋の集落から尻屋漁港まで行き、尻屋漁港の岸壁にVストローム250を止め、そこを「鵜ノ子岬→尻屋崎」往路編のゴールにした。 鵜ノ子岬から968キロ走っての尻屋崎到着だ。 尻屋崎を後にすると、県道6号でむつ市内に入っていく。朝から雨に降られているので、雨具は着ているもののズブ濡れ同然。寒くてどうしようもない。早く宿をみつけたい。歯をガチガチ鳴らしながらVストローム250を走らせ、まずは田名部(むつ市)の町の入口にある斗南温泉へ。日帰り入浴はやっていたが、「むつグランドホテル」は休業で泊まれない。 田名部から大湊(むつ市)に行き、JR大湊線の終点、大湊駅前にある「フォルクローロ大湊」に泊まろうとしたのだが、ここも休業だった。

尻屋崎への快走路を行く

尻屋崎の尻屋漁港に到着

斗南温泉の「むつグランドホテル」は休業

JR大湊線終点の大湊駅

大湊駅前の「フォルクローロ大湊」も休業…

石神温泉に泊まれた!


明日からの「鵜ノ子岬→尻屋崎」の復路編を考えると、どうしてもむつ市内に泊まりたかった。 最後に頭に浮かんだのは石神温泉(ツーリングマップル東北103G-6)だ。国道279号沿いにある日帰り温泉だが、ここは宿泊可。以前、泊まったことがある。飛び込みで行って宿泊を頼んだのだが、担当者はもう帰ったからと、最初は断られた。 「そこを何とかお願いしますよ」とねばるカソリ。 ありがたいことにフロントの若い男性は、代表者らしき人のところに電話をして取り次いでくれた。その人との電話で「お願いしますよ」を連発し、泊まれることになったのだ。 「いやー、助かった!」 すぐさま大浴場に直行し、温泉成分の濃い味がする湯にどっぷりとつかった。湯から上がると、食堂で生ビールで乾杯。 「ヒェー、うまい!」 一気に飲み干し、好物のポテトチップスをパリパリ食べながら、2杯目を飲む。地獄から天国に昇ったかのような気分。2杯目の生ビールを飲み終えたところで夕食。「味噌貝焼定食」を食べた。ホタテの貝を使った味噌貝焼は下北半島の郷土料理だ。

むつ市の国道279号沿いにある石神温泉

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