2021.05.26

【10年目の東北太平洋沿岸をカソリが行く!<最終回> 】

賀曽利さんの「鵜ノ子岬→尻屋崎」。今回の6日目の旅行記が最終回となります。※被災当時の画像の掲載があります。ご注意ください

著・賀曽利隆

「牡鹿半島一周」に出発!


3月16日。「サンファンヴィレッジ」の朝食を食べ、7時30分に出発。ここからは牡鹿半島を一周するのだ。県道2号に出ると、風越峠を越えて牡鹿半島に入っていく。 牡鹿半島の西海岸には入江が連続するが、最初の入江の桃浦漁港でVストロームを止めた。漁港はすっかり整備され、きれいな岸壁になっている。震災直後の桃浦漁港の惨状を目に浮かべたが、今の桃浦漁港と比較し、東日本大震災から10年が過ぎたことを改めて実感するのだった。 高台に移された県道2号も完成している。高台移転した新しい家並みもできている。その入口には「小網倉浜団地」のように、団地名のついた表示板が立っている。統一されたデザインの表示板。このあたり一帯の漁村は桃浦や月浦などの「浦」のつく地名と、萩浜や牧浜、竹浜などの「浜」のつく地名から成っている。浦よりも浜の方が開けた地形のように思えるが、浦と浜の違いは知りたいところだ。

石巻の「サンファンヴィレッジ」を出発!

牡鹿半島の桃浦漁港の今

東日本大震災直後の桃浦漁港

高台に移った県道2号を行く

高台移転した集落の入口

鮎川は「鯨の町」


牡鹿半島の中心地、鮎川に到着。東日本大震災で町は壊滅したが、ここにきて復興の速度を上げている。鮎川は大津波に襲われただけでなく、東日本大震災の震源地に近いこともあって、大地震での揺れもひどかった。震災直後は、ほかでは見られないような道路の段差、亀裂ができていた。 鮎川の町の入口は、「鵜ノ子岬→尻屋崎」の定点観察ポイント。県道2号脇の駐車場にVストローム250を止め、高台から鮎川を一望する。 金華山への船が出る鮎川だが、ここはかつては日本の捕鯨基地。捕鯨でおおいに栄えた。そのような鮎川の町には「ホエールタウンおしか」が完成し、ここでは捕鯨船も見られる。「鯨料理」を食べられる食事処もあるのだが、時間が早く、残念ながらまたの機会にした。

町入口の高台から鮎川港を一望

鮎川港の金華山行の船乗場

鮎川の「ホエールタウン おしか」

「ホエールタウン おしか」に展示されている捕鯨船

思い出の鮎川での「鯨の刺身定食」。鯨の刺し身を食べると、「鮎川にやって来た!」という実感がする

みちのくの黄金伝説の地


鮎川を出発し、牡鹿半島南端の御番所公園へ。御番所公園に登っていく道からは網地島と田代島が見える。御番所公園の展望台から、目の前に横たわる金華山を眺める。牡鹿半島と金華山の間の海は金華山瀬戸。金華山の最高峰は金華山(445m)で、山名が島名になっている。金華山といえば万葉集で詠われた黄金伝説の地。金華山の黄金山神社を参拝すると金運に恵まれるという。 山鳥渡(やまどりわたし)からコバルトラインに入った。牡鹿半島の稜線上を行く快適なワインディングロード。石巻市から女川町に入り、大六天の展望台から女川湾を見下ろす。出島、江島が見える。右端には金華山が見える。 コバルトラインを走り抜けると国道398号にぶつかるが、T字の交差点を右折し、女川の町に入っていく。女川港の岸壁にVストローム250を止めたが、観光桟橋には女川港と出島、江島を結ぶ高速船の「しまなぎ」が停泊していた。 女川港の前には女川復興のシンボル、スーパーの「おんまえや」がある。サンドイッチとあんぱんを「おんまえや」で買うと、缶コーヒーを飲みながら食べるのだった。 がんばれ、「おんまえや」!

御番所公園から見る金華山

山鳥渡からコバルトラインに入っていく

大六天展望台の案内板

奥の桟橋に停泊している赤/白の船が「しまなぎ」

石巻漁港の今を見る


女川から国道398号で石巻に戻る。石巻市の中心に通じる国道398号と分かれ、海沿いの県道240号を行く。震災から10年目にして、県道240号の日和大橋までのかさ上げは完成した。 石巻漁港の魚市場に寄っていく。魚市場も完成し、周辺には水産会社の加工場が建ち並んでいる。大津波で激しくやられた石巻漁港の復興は遅れた。1年たっても2年たっても浸水がつづき、悪臭の漂う魚市場とその周辺だったが、今ではすっかり蘇り、活況を呈している。市場食堂の「斎太郎食堂」も営業している。石巻漁港の岸壁をぐるりとまわり、新しい岸壁にVストローム250を止め、日本最大規模の魚市場を眺めた。それにしても大きな魚市場だ。

国道398号で石巻市に入る

かさ上げされた海沿いの県道240号

石巻漁港の魚市場前の道

震災直後の石巻漁港の道

石巻漁港の岸壁から長々と延びる魚市場を見る

日和山からの眺め


石巻漁港から日和大橋を渡って日和山へ。旧北上川沿いの道を行く。旧北上川沿いの堤防は完成している。日和山への登り坂からは、旧北上川が見下ろせる。 日和山も「鵜ノ子岬→尻屋崎」の定点観察ポイント。山頂の鹿島御児神社を参拝すると、旧北上川の河口一帯を見下ろした。日和大橋よりも上流の地点では新しい橋の架橋工事が進んでいる。日和山の下の門脇小学校は震災遺構で残されている。「南浜津波復興祈念公園」の開園も間近だ(後日、3月28日に開園した)。 日和山から見下ろす風景は、びっしりと家々が建ち並んでいた震災前に比べると、あまりにも違う風景に変わってしまった。今ではまったく人の住まない(住めない)無人のエリア。大津波の恐ろしさをまざまざと見せつけられる。 日和山には芭蕉&曽良の像が建っている。曽良が芭蕉の背中を押して歩いている像。旅の辛さ、苦しさが伝わってくるようだ。台座には「奥の細道」のルート図が描かれているが、この芭蕉&曽良の像は東日本大震災の巨大地震にも耐えて残った。台座から落下することもなく、わずかにズレ動いただけだった。

日和山の鹿島御児神社

日和山からの眺め

震災前に撮影した旧北上川の流れ(上)と日和山からの町並み(下)

日和山の芭蕉&曽良の像。大地震にも耐えて残った

石巻港ICから三陸道に入る


日和山を下り、ふもとの門脇を行く。開園間近の「南浜津波復興祈念公園」を見てまわり、震災遺構として残された門脇小学校を見る。無人の荒野の向こうには日本製紙の石巻工場を見る。国道398号に出ると、国道45号に合流し、石巻市から東松島市に入る。石巻から東松島へ、町並みは途切れることなくつづく。 国道45号を右折し、石巻港ICから三陸道に入った。鳴瀬奥松島ICを過ぎたところが料金所。三陸道は八戸JCTから鳴瀬奥松島ICまでの区間が無料供用中。鳴瀬奥松島ICでは国道45号に接続している。 松島海岸ICを過ぎたところにある春日PAでVストローム250を止め、ここで昼食。「牛たん定食」を食べた。牛たんのコリコリした食感。仙台の味覚「牛たん」に満足し、仙台東部道路経由で常磐道へ。仙台東部道路の岩沼ICから常磐道の山元ICまでの4車線化は3月6日に完成し、仙台東部道路は全線が4車線になった。常磐道もいわき中央ICまでの4車線化が進んでいる。

日和山下の「南浜津波復興祈念公園」

震災遺構で残された門脇小学校

国道45号の石巻市と東松島市の境

石巻港ICから三陸道に入る

三陸道「春日PA」の「牛たん定食」

常磐道の相馬ICから東北中央道へ


常磐道で宮城県から福島県に入り、相馬ICで降りた。料金所を出たところが東北中央道の相馬福島道路の入口。相馬福島道路の終点、霊山ICまで行ってみる。インターを出たところが道の駅「伊達の郷りょうぜん」で、そこで折り返し常磐道の相馬ICに戻った。 東北中央道の相馬福島道路はそれから1カ月後の4月24日に伊達桑折IC~霊山IC間が開通して全線が開通した。さっそくその翌日に福島側から走ってみた。東北道の桑折JCTから入り、料金所を通過し、伊達中央ICを過ぎると、次が霊山IC。桑折JCTから相馬ICまでは46キロで、所要時間は40分だった。全線が2車線。無料供用中の相馬福島道路だ。 これで東北中央道は相馬から福島、米沢、山形を通って東根ICまでがつながった。その先も断続的に完成しているので、秋田県の横手JCTで秋田道につながる日もそう遠くない。 相馬福島道路の完成で、福島県の高速道の横断道路は東北中央道と磐越道の二本立てになった。これで浜通りと中通りの間が往来しやすくなった。それにしても復興道路の完成の速さには驚かされる。

常磐道の相馬ICから相馬福島道路(右)に入っていく

終点の霊山ICから道の駅へ

常磐道の相馬ICに戻ってきた

後日、全線が開通した相馬福島道路を再訪問。ここは東北道の桑折JCT

桑折JCTから相馬福島道路に入っていく

常磐道の南相馬鹿島SAで小休止


東北中央道の霊山ICから相馬ICに戻ると、常磐道を南下。いわき勿来ICを目指す。その途中、南相馬鹿島SAで2度目の昼食。ここではど迫力の「相馬野馬追」像が目を引く。南相馬の雲雀ヶ原で繰り広げられる「神旗争奪戦」のシーンが目に浮かぶ。 特設会場では、「福島民報」の「福島震災10年」の写真パネル展が開催されていた。 「突然、日本が揺れた。2011年3月11日午後2時46分、宮城県沖で大地震が発生した。日本観測史上最大のマグニチュード9.0。最大震度は同県栗原市の震度7。福島県内は白河市、須賀川市などで最大6強の激震だった」 という書き出しの案内板には、福島県内の死者は4145人とある。 「福島震災10年展」の写真を1枚1枚、見てまわったあと、レストランで「なみえ焼きそば」を食べた。ここのみならず、「なみえ焼きそば」を見ると食べたくなる。濃厚ソースと絡んだ極太麺の「なみえ焼きそば」は、食べずにはいられない一品。クセになるような味だ。

常磐道の南相馬鹿島SAに到着

南相馬鹿島SAの「相馬野馬追」像

「福島震災10年写真パネル展」を見学

南相馬鹿島SAの「なみえ焼きそば」

「鵜ノ子岬~尻屋崎」の往復1895キロを走りきった!


「なみえ焼きそば」で元気をつけて、南相馬鹿島SAを出発。常磐道の「広野→いわき中央」間の4車線化が進んでいるが、四倉PAを過ぎると4車線区間に入る。新しい舗装で、初めて走る新しい高速道路といった感じだ。「いわき中央~広野」間の4車線化が完成したら、朝晩の国道6号の大渋滞も少しは緩和されることだろう。 いわき勿来ICで常磐道を降りる。国道289号から国道6号に入り、いよいよ鵜ノ子岬へ。 JR常磐線の勿来駅近くの「ファミリーマート」で大好きな「焼きプリン」を食べ、左手の勿来海岸を見ながら走り、17時、鵜ノ子岬に到着。 「鵜ノ子岬→尻屋崎」の復路編は927キロ。これで「鵜ノ子岬→尻屋崎」往復の1895キロを走り終えた。鵜ノ子岬の東北側の勿来漁港にVストローム250を止め、東北太平洋岸最南端の岬の風景を眺める。胸がジーンとするような鵜ノ子岬の眺めだ。

四倉PAから常磐道の本線に入る。この先から4車線

いわき勿来ICで常磐道を降りる

勿来の「ファミリーマート」で「焼きプリン」を食べる

鵜ノ子岬に到着!

勿来漁港から鵜ノ子岬を眺める

「鵜ノ子岬→尻屋崎2021」終了!


東北と関東を分ける鵜ノ子岬を後にすると、いわき勿来ICで常磐道に入り、北関東道経由で東北道を南下する。佐野SAで夕食。ここではちょっと贅沢して、レストランで「佐野ラーメン」を食べ、デザートの「クリームあんみつ」を食べた。 東北道の久喜白岡JCTで圏央道に入り、最後は海老名南JCTで新東名へ。2時20分、終点の伊勢原大山ICに到着。ここから我が家までは5分ほど。「鵜ノ子岬→尻屋崎2021」が終わった。 Vストローム250よ、ご苦労さん!

いわき勿来ICから常磐道に入る

東北道の佐野SAで夕食

佐野SAのレストランで「佐野ラーメン」とデザートの「クリームあんみつ」の夕食

新東名の伊勢原大山ICに到着。これにて「鵜ノ子岬→尻屋崎2021」終了!

関連記事