2022.08.03

『焚き火の効能』キャンプツーリング徒然 by 内田一成 第7話

ツーリングマップル中部北陸版担当の内田一成さんによる、キャンプツーリングコラム。アウトドアやオートバイとの付き合いが長く、バイク誌・登山誌などでも活躍してきた内田さんの、キャンプツーリングにまつわるさまざまなエピソードをお届けします。今ではあり得ないような無茶な企画バナシに始まり、自然との対峙の仕方、焚き火や料理、ギアや各種ノウハウなど、多岐にわたるお話は、どれも興味深いものばかり。読めばきっと、外に出たくなるはず。 ※当コラムは2015年にツーリングマップルメールマガジンで配信されたものを再編集したものです。記事中の情報等は当時のものになります。

著・内田一成

キャンプの焚き火は一種の魔術


「流れる水を見るのと同様、火はあらゆる時代に、あらゆる文化で、人々を引きつけてやまないものであった。そこには、反復性と同一性、意外性とパターンがある。火と水は生命の永遠のパターンを喚起するのだ」 これは、フランスの哲学者ガストン・パシュラールの言葉だけれど、キャンプで焚き火をしたことがある人なら誰でもすぐに納得できるはずだ。 一見、ずっと同じようなパターンに見えても、立ち上る炎や煙は、二度と同じ形をとることはない。基本的な形態は変わらないから、それは落ち着きをもたらし、つねに変遷するディテールがいつまで見ていても飽きさせることがない。キャンプの焚き火は、一種の魔術といっていいかもしれない。川の流れも海の波も同様だ。

忘れられない焚火のひととき


今まで様々な場所でキャンプして、いろいろな焚き火を経験してきた。 白神山地の林道で氷雨に打たれて体の芯まで冷え切ってしまったときは、雨よけに枝を重ねて小屋掛けした下で、こんなに何もかも濡れていてはとても焚き火などおこせないと思ったが、ふと、マタギの老人が言っていた「土砂降りの雨の中でも、樺の樹皮ならすぐに火がつく」という言葉を思い出して、傍らの樺の木の樹皮を剥いで火を付けてみると、まるで灯油を含ませたように燃えて、それを種火に暖をとることができた。 熊野川の河原では、カラカラに乾いた流木で盛大な焚き火を起こしていたら、川を下ってきたカヤックツアーが、それにつられて上陸してきて、彼らの豪華な料理を相伴しながらの盛大な宴の夜になった。 賀曽利さんが「月刊オートバイ」誌で続けてきた『峠越え』の連載が中断になった時、この連載はぼくがオフロードバイクに乗るきっかけでもあったので、なんだかとても悔しくて、最終回の同行に名乗りをあげた。そして、この取材では、富士山の裾野に位置する忍野の森のアイヌの住居を復元した「チセ」に泊まり、夜が更けるまでチセの真ん中におこした焚き火を間に、賀曽利さんと様々な旅の話をした。 最近では、ソロでツーリングするときは、昔のように直火で焚き火をすることは少なくなった。代わりに「バイオライト」という小枝を燃料にするネイチャーストーブで、掌に載せられるくらいの大きさの、ほんとにささやかな焚き火をするようになった。でも、そんな小さな炎でも、パシュラールが言うような、魔法の力を持っていて、魅入られたようにずっと眺めてしまう。

「お水送り」と「お水取り」


また、これは焚き火というにはあまりにも盛大なものだが、もうすぐ3月2日に迫った若狭の「お水送り」は、ぼくにとって、一年でいちばん重要な焚き火の儀式となっている。 奈良東大寺二月堂の「お水取り」は有名だが、その10日前に若狭で行われる「お水送り」はあまり知られていない。じつはこの二つはセットの儀式だ。

「お水送り」の様子(引用:まっぷるトラベルガイド)

「お水取り」の様子(引用:まっぷるトラベルガイド)

3月2日、若狭にある神宮寺の境内に湧き出す閼伽(あか)井で汲まれた水は、本堂の中に設えられた護摩壇に供えられて、盛大な護摩焚きで清められる。さらに境内では、本堂の何倍もある護摩壇に火がつけられ、その前に移されて、さらに清められる。 遠敷(おにゅう)川が穿つ谷に、その護摩の炎が立ち上がる様は、龍に見えたり、剣をかざした不動明王にも見える。その火はあまりにも盛大なため、狭い谷に強い上昇気流を生み出し、それが雷を誘う。その腹を揺さぶるような音を合図にするように、松明行列が動き出す。 大松明を先頭に、竹筒に入れられた聖水、さらにその後ろに中松明、そして5000を超える手松明が続き、長く長く、遠敷川に沿って火の帯が続いていく。 そして、閼伽井から汲み上げられた聖水は、遠敷川の一角にある鵜の瀬という淵から注ぎ込まれる。この鵜の瀬から奈良東大寺まで地下で繋がっているのだと神話は伝えている。

お水送りの儀式から10日後、東大寺二月堂下にある「若狭井」では、若狭から送られた水が湧き出し、これを汲んで、二月堂の本尊である水を司る十一面観音に捧げられる。このとき行われる儀式が「お水取り」だ。 お水送りやお水取りの儀式はキャンプとは関係ないけれど、その炎を見る度にキャンプの焚き火を思い出す。逆にキャンプの焚き火を見ていると、この護摩の火を思い出して、炎の中に小さな龍や不動明王を見るようになった。

さあ、焚き火に酔いしれよう


焚き火の良さは、その魔法によって、つまらない雑念から解放されて、ただ呆けた時間を過ごせることにある。一晩、そんな夜を過ごすと、翌日は生まれ変わったように気分がスッキリしている。 焚き火を楽しむキャンプのシーズンはまだ少し先になるけれど、今年もまた若狭の焚き火に酔いしれてくるつもりだ。

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