2022.09.02

「馴染み」のキャンプサイトがあるという幸せ キャンプツーリング徒然 by 内田一成 第7話

ツーリングマップル中部北陸版担当の内田一成さんによる、キャンプツーリングコラム。アウトドアやオートバイとの付き合いが長く、バイク誌・登山誌などでも活躍してきた内田さんの、キャンプツーリングにまつわるさまざまなエピソードをお届けします。今ではあり得ないような無茶な企画バナシに始まり、自然との対峙の仕方、焚き火や料理、ギアや各種ノウハウなど、多岐にわたるお話は、どれも興味深いものばかり。読めばきっと、外に出たくなるはず。 ※当コラムは2015年にツーリングマップルメールマガジンで配信されたものを再編集したものです。記事中の情報等は当時のものになります。

著・内田一成

ヘンリー・D・ソローがウォールデン湖の畔で自足の孤高生活を送った記録は『森の生活』として、ナチュラルライフのバイブルのひとつになっている。 『森の生活』は、都会での仕事生活や人間関係に疲れた時に、硬くなった心を和らげてくれる特効薬だけれど、ときには、文章を読むだけでは癒やされないこともある。そんなときには、その時の気分を癒してくれそうなキャンプサイトへ出かけて行く。

ウォールデン 森の生活(ヘンリー・D・ソロー)

澄んだ空気とシラカバやカラマツに囲まれる「廻り目平キャンプ場」(長野県・川上村)


ぼくがとくに気に入っているのは、長野県の川上村にある廻り目平キャンプ場だ。奥秩父の主脈を大弛峠で越える峰越林道の長野県側の入口に当たり、昔、林道ツーリングにはまっていたときは、山梨県側からこの林道を通って廻り目平に抜けてキャンプするというのがストレス解消の定番コースだった。今はあまり峰越林道は通らないが、野辺山のほうから回りこんで、廻り目平によく行く。 小川山という関東のロッククライマーにはお馴染みのフリークライミングのメッカのような山が背後に聳え、乾いた砂質のキャンプサイトは全域がフリーサイトで、気分に合わせて静かな白樺林の中や、目の覚めるような清流が流れる金峰山川を見下ろす開けた場所を選ぶことができる。 廻り目平にキャンプするときは、最低でも二泊三日、余裕があれば一週間くらい滞在する。このサイトをベースに奥秩父の主峰金峰山に登ったり、カモシカ遊歩道というトレッキングコースから屋根岩という乾いたフェイスの岩でクライミングを楽しんだり、また、白樺の樹にハンモックを掛けて日がな一日読書したりする。 廻り目平はカラッと明るく、空気も水も澄み、花崗岩のテラスに寝転がって陽の光を浴びれば、心身に染み込んだ澱をきれいさっぱり蒸発してくれるような土地だ。環境はまったく違うけれど、それは、何回か前に書いた砂漠の浄化作用にそっくりだ。

廻り目平・ふれあいキャンプ場(金峰山荘に併設されている)

カヤの平高原キャンプ場


長野県北部、新潟県との境に近い木島平村のカヤの平高原も、浄化作用の強いキャンプサイトだ。奥志賀の深い山並みに分け入り、ブナの巨木の原生林を抜けて辿り着く雲上の草原。ここは廻り目平とは対照的に、潤いのある空気が心身を心地良く弛ましてくれる。 昼間はブナの森に分け入って、濃厚なフィトンチッドに浸かる。昔、樹林写真家の石橋睦美さんと奥多摩の森を歩いた時に、濃霧が立ち込めるブナの林の中で、フィトンチッドは微かな緑色をしていると聞かされた。 「肉眼で見ると、霧が微かな緑に色づいているのがわかるでしょ。これはブナの葉の色が映っているんじゃなくて、フィトンチッドの色なんですよ。ブナの葉の色が反映しているのだとしたら、光の当たり具合で濃淡が着くはずですが、フラットに緑でしょ」 たしかに石橋さんの言うとおりだった。 カヤの平は昼と夜の気温差が大きいので、早朝には草原にもブナの森にも濃い霧が立ちこめる。そんな時間に散策すると、うっすらと緑色の霧がたなびいていて、石橋さんの言葉を思い出し、無意識にフィトンチッドを肺いっぱいに吸い込もうと深呼吸している。 夜は真夏でもダウンジャケットが欲しいくらいに冷え込む。そして、漆黒の半球を無数の星が埋め尽くす。草原にテントマットを敷いて、シュラフに潜り込んで空を眺めていると、いくつも流れ星を観ることができる。 カヤの平でキャンプをすると、ここにはウォールデン湖のような湖はないが、そのほかの点では、ソローが小さな小屋を立てて住んだ森と良く似ているのではないかと感じる。ソローは、自然の中に一人で身を置く気分を「孤独」ではなく「孤高」だとして、孤高の気分で自然と接する喜びを「ソリチュード」と表現している。カヤの平は、そんなソリチュードをじっくり味わえるキャンプサイトだ。

広大な牧場に隣接、周辺には遊歩道も整備されている(引用:まっぷるトラベルガイド)

馴染みを持てば、いつでも生まれ変われる


廻り目平やカヤの平のほかにも、様々な気分を味わわせてくれるキャンプサイトがたくさんある。高校1年の頃からキャンプを始めたので、かれこれ40年あまり、国内外の自然の中でキャンプをしてきたので、「馴染み」のキャンプサイトがたくさんできた。 今回紹介した2つの場所は、どちらも設備はミニマムだし、区画が切られているわけでもなく、買い物が便利なわけでもない。設備の充実度やホスピタリティを選定基準としたら、ランキングはリストの最下部になるのは間違いない。でも、至れり尽くせりの人工的なキャンプサイトでは絶対に得られないものがそこにはある。 そこに行けば、気分がすっきりする。 大げさにいえば、そこの空気に二三日浸ると生まれ変われるような「馴染み」の場所を持つことは、大きな幸せのひとつだから。 また機会があれば、そんなキャンプサイトの幾つかを紹介してみたいと思う。

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