2019.09.13

バイクとの出会いー「オフロードバイクライフ」by 博田巌 vol.2

「パリダカ」と言えば多くの人が聞いたことがある世界的ラリー(※現在は「ダカール・ラリー」と呼ばれ、レース地も異なる)です。現在「ツーリングマップル中国・四国」を担当する博田さんは、かつて「パリ・グラナダ・ダカールラリー」への参戦をはじめ、国内外のオフロードレース経験も多い方です。ツーリングマップルでは中国・四国エリアの担当者になる以前、全国の林道調査を行ったこともあります。そんな博田さんに、旅に興味を持った少年時代から、バイクに乗り始めた時期、オフロード走行の魅力などなどを語っていただきます。 ※当記事はツーリングマップル週刊メルマガにて2017年1月~2月に配信した記事を再編集したものです。

著・博田巌

DT125R ー 思い出のバイクとの出会い


「自転車競技部」で毎日きついトレーニングに明け暮れる中、僕は自転車での「競技」よりも、バイクでの「自由」な走りへの憧れが強くなっていました。そんなある日、いまも思い出のバイクとして心に残る「DT125R」に出会ったのです。 その中古のDT125R(3FW)が置いてあったのは、友人行きつけの自転車店。店主がミニバイクレースなどをやっていた関係もあって、自転車店なのに、ユニークなバイク好きが集まる楽しいお店でした。 DT125Rは、モトクロッサーYZを彷彿させるデザインに、125ccでありながら、兄貴分の200とほぼ同じ車体で、前後ディスクブレーキというのも当時のトレールバイクではとても斬新でした。そのころアメリカのスーパークロスで活躍していた、自分と同い歳のデーモンブラッドショーがヤマハだったこともあり、僕はすっかりDT125Rに魅せられてしまうことに。 欲しい!ただそのときはまだ原付免許しか持っておらず、お金もなく…。そこで、支払いをツケにしてもらう、という店主の好意に甘えた形になりました。その後、朝の新聞配達に加え、休日のバイトなどをしつつ何とか購入費用を捻出。免許の方は、何度目かの一発試験で小型二輪免許を取得しました。 自分のバイクで初めて走った時は、とても嬉しかったことを覚えています。

DT125R(YAMAHAプロダクトライブラリーより)

DT125R(YAMAHAプロダクトライブラリーより)

林道へ。『2輪車ツーリングマップ』との出会い


時間を見つけては、近所の河原や小さなコースに出向いて、バイク雑誌の「ライテク講座」を参考にコーナーリングの練習をしていたものです。ある時、転んでレバーを折ったのだけど、怪我よりバイト代がなくなる方が痛かった、なんて思い出もあります(笑)。 そんなころに本屋さんで見つけたのが、昭文社の『2輪車ツーリングマップ』でした。ページをめくるたび、 「近くにこんなに沢山林道があるんだな」 と、とても興味がわきました。この「2輪車ツーリングマップ」を見ながら初めて行ったのが、「大森川ダム」周辺のダート。はたして地図のとおりに走れるか?山の中で何かトラブルがおきないか?自分のテクニックで無事に走り抜けられるか?などなど、ワクワクドキドキ感満点のツーリングでした。 こうして「地図を見ながら走る面白さ」を知ってしまうと、その後、四国内の林道巡りに出掛けるのが自分の楽しみになりました。まあ、今もそれほど変わらないことをしているのですが…(笑)。

深まるバイクライフ


友人達と行った、89年と90年の2年連続の「鈴鹿8耐観戦弾丸ツーリング」も楽しい思い出です。 金曜日の夜に高知を出発。徳島から和歌山行のフェリーで仮眠し、午前中に鈴鹿到着。土曜は予選・4耐をたっぷり観戦。そして日曜日は8耐を観戦。 レースが終了すると、今度は自分たちの8耐がスタート(笑)。夜通し走って高知まで帰ったものです。 1年目は、「何とかなるやろう」と、寝袋なども持たず、土曜日の夜は駐車場で仮眠しました。さすがに2年目はちゃんとキャンプ場を利用しましたが、いずれにしても、十代だから出来た、とっておきの旅の思い出の一つです。 鈴鹿へは、その後91年の日本GPの観戦にも出掛けました。 125CCクラスでの上田昇選手の初優勝や、ケビン・シュワンツ、ウェン・レイニーなど、トップライダーのバトルには大興奮でした。夏にはモトクロス世界GPも開催されて、すぐ目の前で見られるGPライダーの迫力ある走りには、すっかり魅了されていました。 そして、同い歳のステファン・エバーツの初タイトルも目の当たりにすることが出来たのです。 こうして、気付けばバイクだらけの生活になっていたこの年の秋、いよいよ僕が、オフロードバイクライフの深みにどっぷりはまる、そのきっかけとなったナイトラリーに出場することになります。 (続く)

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