2026.09.09

歴史ある町並みを残すのは誰のため?~大内宿はなぜ残ったのか~

皆さんこんにちは。ツーリングマップル編集部のマスキです。 これを読んでくれている方は、大なり小なり「旅」が好きな方が多いと思います。そして旅が好きなら、歴史ある風景が好きな方も多いはず。歴史ある風景といっても、昭和レトロな商店街、廃村と化した炭鉱の町、異国情緒あふれる港町などいろいろありますが、今回取り上げるのは、福島県南会津にある「大内宿」。 先日ツーリングマップルのYouTubeチャンネルで一本の動画を公開しました。

著・編集長マスキ

 


いつもの3人(カソリさん、中村さん、僕)で、福島横断ツーリングをしたときのもの。この旅の途中で僕らは大内宿へ立ち寄りました。 大内宿といえば、福島を代表する観光地のひとつ。「江戸時代にタイムスリップしたみたい」と言われるほど、見事に古い町並みが残っている場所。 でもこの町並み、そう単純なものではなかった。単に「残った」のでなく、「残しながら戻した」ものなのです。様々な人の思惑や時代に翻弄されながら、なんとかこの形になっている。一つ間違えば、今の大内宿はなかったかもしれない。そんな場所だったのです。 今回は大内宿が今の姿になった経緯を、動画で語り切れなかった部分を含め、書いてみたいと思います。 

この動画の24:00あたりから、大内宿の紹介がはじまります

「江戸時代のまま手つかず」なわけがない


大内宿は江戸時代、会津若松と下野今市(現在の日光市今市)を結ぶ下野街道(会津西街道)の宿場町として大いに栄えました。しかし明治に入り、交通革命が起きた結果、新しい道路、鉄道から大内は取り残される形となります。そして 「時代の流れから外れたことで、結果として古い町並みが残った」 と、ここまでが、大内宿の紹介でよく語られる話。

完全に国道からも鉄道からも離れてしまった

 


ですがよく考えてみれば、それなりに住民がいた集落が、国道や鉄道から離れているとはいえ、何ら近代化されないわけもなく。 調べてみると、戦後には電気が通り、1960年代には簡易水道も整備されていました。茅葺き屋根をトタンに張り替える家も増えていき、集落の中央を通るメインストリートは、アスファルトで舗装されていたといいます。 つまり大内宿は、一度はその姿を変える方向に進んでいた。あの風景は、なくなる可能性があった。 僕らが「江戸時代から残る風景」として眺めていたものは、「たまたま、運良く残った」ものではないのです。 ・・・➡続きはnoteへ(画像下のリンクからぜひ最後までお読みください!)

この道はアスファルトをはがして元の風景に戻したものだった

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