
essay
2020.09.30
私を走らせるもの vol.6 東北編(3)
思い出の風景、季節の味覚、そして本や映画、音楽などなど、あなたを旅へと誘うものは何ですか? あの頃見た光景が忘れられなくて…。小説に出てきた風景を自分の目で見たくて…。この曲を聴くと無性に旅に出たくなってしまって…。あの人に逢いたくて…。など、時に切なく、時に衝動的に、私たちを旅へ駆り立てる「装置」があります。不思議なことに、ほかの人にとっては何でもないものが、自分にとってはとても大きな影響を与えることも少なくありません。そんな、「私を走らせるもの」について、ツーリングマップル著者陣に語っていただきます。
~私を走らせる『羽州街道』前編 ~ by 賀曽利隆
司馬遼太郎の『街道をゆく』の向こうを張った「賀曽利隆の街道を行く」。奥州街道編に続く第2弾目は、奥州街道と並ぶ「東北2大街道」のひとつ羽州街道だ。奥州街道でも言ったことだが、ぼくにとっては「街道」以上に自分を旅にいざなうものはない。 羽州街道はスズキのVストローム1000で走った。東京日本橋から出発して、奥州街道の桑折(こおり)宿へ。宿場町を走り抜けたところが桑折追分で、奥州街道と羽州街道が分岐する。ここから羽州街道をフォローした。

桑折追分。ここから羽州街道を行く
第1番目の宿場は「小坂宿」。日本有数の銀山、半田銀山のあった半田山の山麓を通り、益子神社前を通り、桑折町から国見町に入ったところに小坂宿はある。小坂宿の家並みを走り抜け、福島・宮城県境の「小坂峠」に到達。羽州街道はこの小坂峠を皮切りに、次々と峠を越えていく。これといった峠のない奥州街道とは対照的だ。

羽州街道の福島・宮城県境の小坂峠
宮城県内の羽州街道には ・上戸沢宿 ・下戸沢宿 ・渡瀬宿 ・関宿 ・滑津(なめつ)宿 ・峠田(とうげた)宿 ・湯原宿 と7つの宿場がある。そのため「七ヶ宿街道」ともいわれる。 まず上戸沢宿、下戸沢宿を過ぎると国道113号に合流。白石川の「七ヶ宿ダム」から先が七ヶ宿町になる。 七ヶ宿町はまさに羽州街道の町だ。残念ながら渡瀬宿は七ヶ宿ダムの底に沈んでしまったが、「道の駅七ヶ宿」の一角にある郷土資料館「水と歴史の館」で渡瀬宿の写真や渡瀬宿を描いた絵画を見ることができる。 関宿は七ヶ宿町の中心。町役場もここにある。 次の滑津宿は七ヶ宿街道のハイライト的な存在。まずは手打ちそばの「吉野屋」で「もりそば」を食べた。「吉野屋」の反対側には本陣の「安藤家」。茅葺屋根で唐破風の玄関は立派な造り。隣りの土蔵にも目を奪われた。 滑津宿を過ぎた所には、白石川の「滑津大滝」がある。駐車場にV-ストローム1000を止めて遊歩道を歩くと、徒歩5分ほどで滑津大滝を見る。高さは10メートルほどだが、幅は30メートル以上。国道113号の脇にこれだけの大滝があるのが驚きだ。 峠田宿、湯原宿と続く七ヵ宿街道の7宿を過ぎると追分に出る。 羽州街道方面はここを右折し、県道13号で奥羽山脈の金山峠を越える。直進する国道113号は米沢街道で、二井宿峠を越え高畠へと下っていく。 この追分から間宿(あいのしゅく=宿場と宿場の間にある休憩施設で宿泊はできない)の「干蒲(ひかば)宿」までの直線路を走り、金山峠を登っていく。道幅は狭くなり、昼でも暗い樹林の中を行く。 標高629メートルの金山峠に到達。 宮城・山形県境のこの峠には白石川の源となる「鏡清水」がある。江戸時代、弘前の津軽氏や久保田(秋田)の佐竹氏、鶴岡の酒井氏など奥羽13藩の大名行列がこの峠を越えた。大名行列の姫たちが清水に顔を映して鏡がわりにしたところから「鏡清水」の名が付いた。
金山峠を越えると陸奥から出羽に入っていく。 羽州街道の2番目の峠、金山峠はまさに奥羽を分ける峠だ。金山峠を下ったところが「楢下(ならげ)宿」。往時の宿場町がそのままの形で残されている。まるで江戸時代にタイムスリップしたかのようで、全体が国の史跡に指定されている。 宿場内の道はコの字形(鉤形)に屈曲していたが、明治13年に石造の新橋、さらに同15年に覗橋が架けられ、その翌16年には、上町から新町へ直通する新道が開かれて、現在の町形はコの字からロの字に変わっている。 脇本陣の「滝沢屋」を見学。ここに残されている資料を見ると、羽黒山、月山、湯殿山の出羽三山めぐりの旅人たちがこの宿場に泊まったことがわかる。滝沢家の前には一里塚跡。羽州街道の12番目の一里塚だ。さらに武田家、庄内屋、大黒屋と楢下宿の茅葺屋根の建物を見ていく。曲がり家の庄内屋が一番古く、18世紀の中頃に建てられたという。

楢下宿の脇本陣「滝沢屋」
楢下宿を過ぎたところには「丹野こんにゃく」店の「こんにゃく番所」がある。ここでは特産のコンニャクが売られているが、食事処では「コンニャクのフルコース」が食べられる。 これが「あっ!」と驚くほどのすごさ。まずはコンニャクのラフランスが出た。この地方特産のラフランスそっくりの色と味と食感だ。そのあと次々にコンニャク料理が出てくる。先付の夏野菜の蒟蒻テリーヌ、前菜の黒豆蒟蒻、鮑見立て蒟蒻の粕漬け、牛肉巻蒟蒻、蒟蒻マリネ、そしてお造りもさらし鯨蒟蒻と凝りに凝っている。さらに煮物、酢の物、揚げ物とオリジナルのコンニャク料理がつづき、最後は蒟蒻粥で締める。まさにコンニャク三昧のフルコースなのである。 丹野家は楢下宿の旧家である。脇本陣の「滝沢屋」も丹野家だ。 楢下宿から県道13号で上山宿に向かっていくと、国道13号のバイパスの下をくぐり、T字の交差点に出る。そこは羽州街道と米沢街道の追分で、苔むした追分碑が建っている。米沢街道は米沢から板谷峠を越え、福島で奥州街道に合流する。 上山宿の町並みに入っていく。上山は松平氏3万石の城下町であり、羽州街道有数の温泉町でもある。ここでは共同浴場の「下大湯」に入った。上山温泉には「湯町共同浴場」、「新湯共同浴場」、「二日町共同浴場」などの共同浴場があるが、その中でも「下大湯」は歴史が一番、古く、浴室も広く、ゆったり気分で湯につかれる。

(後編へ続く)