2022.08.31

昭和から平成へ ホッカイダー小原信好の 「AROUND THE JAPAN 日本一周35000kmの旅」vol.8

今も昔も、旅人にとって「日本一周」は憧れの旅。お金があっても、時間があっても、簡単にできることではありません。誰もができるわけではないから、日本一周をしている旅人を見れば応援したくなるし、達成した人には賞賛と尊敬の念を抱いてしまいます。 今から30年余り前、「昭和」が「平成」に移ろうとしていたあの頃、盛岡の青年、小原信好氏がバイクで日本一周の旅に出発しました。青年の日本一周を通して、当時の時代背景や、長旅にまつわる苦労や出逢い、喜びに触れてみましょう。 ※当記事はツーリングマップル週刊メルマガにて2019年1月~4月に配信した記事を再編集したものです。前回までのお話は本記事末尾の関連記事リンクからどうぞ

著・小原信好

<第8回 梅雨の九州一周 後編>


昭和63年(1988年)6月、梅雨絶好調の九州。 キャンプするのも大変だし、ユースホステルに連泊するのも予算オーバーだし、どうしようか…。そんな時に思い出したのが、ここまでの旅で出会った旅ライダーに教えてもらった、熊本市の国道3号沿いにあるという「ライダーハウス ホライゾン」の情報だった。 ネットが無い時代である。大雨の中、小原青年はともかく熊本市に向かった。「Horaizon(ホライゾン)」(九州32B-3)は、国道3号と国道57号の交差点にあった。喫茶店を改築した小さなカスタムショップで、ピット奥の小さな部屋をライダーハウスとして、旅ライダーに無料で開放しているのだ。 対向車線からキョロキョロしていると、何やらお店から手招きする人が。そこでUターンしてお店に到着する。ヘルメットを取って、店内に入ってみると、オーナーとお客さん達が大爆笑している。 「???」 訳も分からない状況の中、あまりに笑っているので若干ムッとしていると、どうやら彼らは私のことを、てっきり女の子だと思ったらしい。小柄でジュリオの白いカッパを着て、バイクも125ccなので、皆でワクワクして待っていたのに、ヒゲ面のライダーが店内に入って来るものだから、笑うしかなかったようだ。「ははは…」と苦笑いして立ちすくむ小原青年であった。

旅のベースとなったライダーハウスホライゾン


「Horaizon(ホライゾン)」のライダーハウス内の壁には、今まで泊まっていった旅人の寄せ書きがたくさん飾られていた。それと、オーナー(梅田さんと白木さん)が、2人で北海道を旅した時のルート図が描かれていた。その旅では北海道のライダーハウスで沢山世話になったらしく、お返しに、熊本でも旅ライダーが休憩する場所を作りたかったそうだ。(※現在、ライダーハウスはやっていない) そんなこんなで九州旅の後半は「ホライゾン」をベースに巡ることになる。長期滞在型旅人(いわゆる「沈没者」)にはなりたくなかったので、雨の日でも積極的に走りに出かけた。ホライゾンのお客さん達と熊本県内の林道を走ったり、大好きな「大観峰」(26B-2)へも何度も行ったりした。

ホライゾンのお客さんたちと林道へ

ツームシ山(熊本県菊池市)

スペシャル旅人ライダー


6月7日、長崎県庁到着で九州7県の県庁制覇。ここは行こうと決めていた「長崎原爆資料館」(75F-3)は、「広島平和記念資料館」(中国四国89D-2)と比べても、展示写真などが強烈だった。次の日も来て、資料をじっくり読んだり、映像を見たりした。 しかしせっかく長崎まで来たのに、あまりにも雨が続くのでまた「ホライゾン」に戻ることになった。そして到着すると、八つあん(Vol.6・7参照)がいて、さらに石垣島「米原キャンプ場」(73K-4)帰りの「スペシャル旅人ライダー」達もいた。 この当時、「夏の北海道」と「冬の沖縄」をアルバイトしながら往復して過ごす「渡り」と呼ばれる旅人ライダーがいた。それが「スペシャル旅人ライダー」である。そんなウワサの旅人に出会えたのだが、あふれ出るパワーにちょっと引き気味になってしまった(苦笑)。しかし、旅をしていると、地元にいては永遠に知り合うことがないであろう、いろんな旅人との出逢いが沢山ある。その時々で様々な会話をするのだが、生まれ育った土地の地域性や、その人自身が経験から得たものの考え方など、人それぞれであり、物事はいろんな方向から見なければならないと教えられた。 自分の意見をしっかり言うためには、「もっとたくさんの物を見て、感じて、体験しなければ!」と思う小原青年であった。

長崎県庁(たしかに女性ライダーに見えるかも・・・笑)

旅の疲れと地元からの便り


その後も熊本から九州各地を巡る旅に出た。「火の国」九州は、各地に安くて良い公衆温泉があって本当に便利で贅沢な日々。ただ、そんな温泉効果も梅雨時期の雨旅が続くと、若干疲れが出始めてきた。 私宛ての郵便物は、岩手にある実家から各地の郵便局留めで送ってもらっていたので、旅先でも定期的に地元の知り合いや、旅の途中で出逢った人達からの便りを読むことができた。時間がある時には、私もいろんな場所から返事を書いた。手書きのハガキや手紙のやり取りをするのは、とても楽しくて有意義な時間だった。メールで手間なく簡単にやり取りできる今だからこそ、そう思える。 そんなやりとりの中で、地元で仲の良かったキハルから「結婚するから披露宴に出て欲しい」との手紙が届いた。受け取ったのが6月11日で、結婚式は7月2日だ。となるともう北上を開始しないと間に合わない。身体的にも精神的にも疲れ始めていた小原青年には、いい機会だったかもしれない。もう少し九州を巡って沖縄に向かう予定だったのを、7月から北海道を走り、秋から冬にかけ再度南下して、九州・沖縄を巡る計画に変更。これにより「6ヶ月で日本一周を走破する」計画が崩れていく。

九州、ひとときの別れ


この九州滞在では、雨の「大観峰」で出逢った熊本のGさんに何度もお世話になった。泊めてもらったり、食事をご馳走してもらったり。Gさんの美人の彼女にはお別れの時に、差し入れと花、そしてお手紙までもらった。その後、お二人は結婚されたが、連絡が途絶えてしまった。あの時のお礼ができないでいるのが心残りだ。 そしてこれも「大観峰」で出逢った、福岡の"トラ"にも会いに行った。常連の喫茶店のお客さん達とも楽しい時間を過ごした。 九州は本当に楽しくて、いい人達ばかりだった。秋には再会することをみんなと約束して、6月17日、約1ヶ月滞在したこの地を離れ、関門トンネルを通過し本州へと戻る。 次回、本州北上、そして北海道上陸編へ続く。

田原坂(熊本県熊本市、西南戦争の激戦地)

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