2020.06.19

「野宿のススメ」キャンプツーリング徒然 by 内田一成 第5話

ツーリングマップル中部北陸版担当の内田一成さんによる、キャンプツーリングコラム。アウトドアやオートバイとの付き合いが長く、バイク誌・登山誌などでも活躍してきた内田さんの、キャンプツーリングにまつわるさまざまなエピソードをお届けします。今ではあり得ないような無茶な企画バナシに始まり、自然との対峙の仕方、焚き火や料理、ギアや各種ノウハウなど、多岐にわたるお話は、どれも興味深いものばかり。読めばきっと、外に出たくなるはず。

著・内田一成

第5話 野宿のススメ


前回は、人里離れた林道脇で野宿していてクマに遭遇した話(→第4話「クマとの遭遇」)を書いたが、それを読んだ若い人から、 「キャンプ場じゃないところでテント張ったりしていいんですか?」 と質問を受けた。 まぁ厳密にいえば、国立公園や国定公園内ならば、キャンプ指定地以外でのキャンプは原則禁止だし、それ以外の地域でも勝手にテントを張ってはまずいところもあるだろう。でも、常識で判断して、誰にも迷惑を掛けず、私有地でもなさそうなところなら、現状復帰を原則にキャンプしても構わないと思うし、そうした判断基準で、自分はずっとキャンプをしてきた。「キャンプ」というと、指定されたキャンプ地で行うことに限定されたものにも聞こえるから、あえて「野宿」と呼んだほうがいいかもしれないが。 様々な制約のない野宿 野宿のいいところといえば、区画の定められたキャンプ場とは違って、自然に融合したように過ごせることだ。 昔、岩手県の遠野から早池峰山へ向かう途中にある、荒川高原という場所が好きで、東北を旅するときは、必ずそこにテントを張った。緩やかな曲線を描いて、どこまでも草原が続く北上山地の一角で、はじめてここを訪れたときに、広大なモンゴルの草原を思い出した。とにかく日本離れしたスケールの景色の中で、一人ぽつんとテントを張って過ごしていると、宮沢賢治のイーハートーブの世界そのままに、その童話世界の中にいるような気がした。 今では広い舗装道路が通って、クルマの通行も多くなってしまったので、そう気軽には野宿もできない環境になってしまったが、ぼくが通っていた頃は、荒れた林道を延々走らなければ辿りつけず、滅多にクルマなど通らず、まさに野宿天国だった。 真夏には、ヨーロッパアルプスに咲くエーデルワイスの最・近縁種といわれるハヤチネウスユキソウが草原の中に可憐な白い花を咲かせ、それが涼しい風に揺れて、ただそれだけ眺めて一日過ごしても飽きなかった。 その荒川高原の草原にオートバイを止めて、草の上にテントマットを敷いてのんびり空を眺めていると、彼方からオートバイの音が聞こえてきた。つづら折れの林道をだんだん音が近づいてきて、こちらを見つけると、間近までやって来て止まった。 キャンプ道具を満載したオフロードバイクで、乗っていたライダーは、跨ったまま声を掛けてきた。 「すいません、ここはキャンプ場ですか?」 ぼくは、起き上がって答えた。 「いや、キャンプ場じゃないと思うけど、かまわないんじゃないかな。気持ちいいよ、ここでキャンプすると」 すると、そのライダーは、あたりを見回し、再びエンジンをかけた。少し離れたところにテントを張るつもりなのかなと思ったら、彼は、そのまま林道に戻り、きた道を引き返していった。 翌日、ぼくは野宿を撤収して早池峰山のほうに向かったが、その登山口に当たる樹林の中の暗いキャンプ場に、昨日見たオートバイを見つけた。せっかく最高のロケーションの場所を通ったのに、なぜわざわざ谷間の暗いキャンプ場まで降りてきてテントを張ったのか理解できなかった。 一人(ソロ)で自然と向き合うということ 前回のコラムの読者氏も、あの時のライダー同様、キャンプは指定されたキャンプ場以外でしてはいけないという先入観に縛りつけられているのだろう。 そういえば、今はどうなのか知らないが、昔のオートバイ雑誌で林道リーリングのノウハウなどを紹介する記事には、林道は危険なのでソロで走らず、必ず二人以上で行きましょうなんて解説してあった。そんな記事を読むと、つくづく日本は幼稚な社会だなと思った。経験的に、登山でもツーリングでも、自分のスタイルを追い求めれば、最後はソロになる。大自然の中に一人で身を置いて、雄大さや美しさ、また厳しさまで受け止めることの楽しさと満足感は、グループでは絶対に味わえない。 さらにいえば、愚かな事故や遭難騒ぎを起こすのは、ソロよりもグループ、パーティのほうが圧倒的に多い。最近、スキーやスノーボードのバックカントリーでの遭難事故が何度も起こっているが、ほとんどのケースはグループだ。仲間といるから安心という油断が、安直にバックカントリーへと向かわせ、バックカントリーでサバイバルする装備も持っていないから、尾根を一つ間違えただけで遭難する。ぼくの知り合いのスキーヤーやスノーボーダーは、昔からバックカントリーを楽しんでいるが、誰もくだらない遭難騒ぎなど起こしていない。 ソロで自然と向き合うときは、誰も助けてくれないから、万全の準備と心構えで出かけていく。そして、けして無理や悪ふざけはしない。そんな経験があれば、たとえグループで行動するときでも節度を持って行動する。ソロで自然と向き合う楽しさを知っている人間は、慎重だし、自分が遭難したら、山なら捜索隊の命を危険に晒し、人に迷惑をかけることになることがわかっているから、自分の行動が遭難に結びつくリスクがあると判断すれば、なるべくそれを避けようとする。そして、なにより自然の怖さと、自然に対峙したときの人間の小ささを身に沁みて理解している。 この連載の第一回で、雪中ツーリングの話でも「ずいぶん無茶なことをする」という感想があったけれど、けして無茶はしていない(→第1話「真冬のクレージー・クルージング・ラリー」)。 あのツーリングに参加したメンバーは、ソロで世界ツーリングの経験があり、あるいは海外のオープンフィールドのレース経験者だ。どんなことをすれば危険かはわかっているし、自分の技量もよくわかっている。「脱落したメンバーはその場に置き去りにする」というルールは、実際にそんなことをするという意味ではなく、半ば冗談であり、それぞれがそれぞれのスキルを信じているから、脱落者が出るような「無茶」な計画は立てない。 雪中ツーリングの計画は、グループメンバーにとってアンダーコントロールであるからこの計画を実行したのであって、無謀な挑戦を試みたわけではない…賀曽利さんがブーツを冷凍してしまったのは想定外であったが(笑) まあ、前回のクマの襲撃も想定外ではあったけれど(笑) 「キャンプ場じゃないところでキャンプしていいのか?」という問いも、自分で判断せずに、雑誌やWEBの情報を鵜呑みにして、そのまま実行しているからそんな問いが出てくるのだと思う。 経験を重ねることで世界は広がる つまらない情報など頼りにせず、まずは何でもソロで経験してみるといい。とくに、野宿をお勧めする。はじめはどこか近郊の海岸や山へ出かけて行って、いつでもエスケープできるような態勢で、テントマットかグランドシートを敷いて、星空の下で横になってみるといい。まわりに誰もいない自然のままの場所で一人きりで見上げる星空は格別だ。 そんな経験を何度かするうち、様々なスキルが身について、野宿することに抵抗がなくなるはずだ。そして、どんな場所なら野宿に適しているか自然にわかるようになる。 何より、宿やキャンプ場といった場所に制約されずにツーリングできることで、世界が格段に広がることが実感できるはずだ。 (続く) ※当記事はツーリングマップル週刊メルマガにて2015年1月~3月に配信した記事を再編集したものです。

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