2020.07.10

中四国ライダー 博田巌の「オフロードバイクライフ」vol.4

「パリダカ」と言えば、多くの人が聞いたことがあるであろう世界的ラリーです(※時代により名称、レース地は異なる)。「ツーリングマップル中国・四国」を担当する博田巌さんは、そんなパリダカへをはじめ、国内外のオフロードレースで優勝・入賞経験が多数ある日本人でも有数のオフロードライダーです。 ツーリングマップルでは中国・四国エリアの担当者になる以前、全国の林道調査を行ったこともあります。そんな博田さんに、旅に興味を持った少年時代から、バイクに乗り始めた時期、オフロード走行の魅力などなどを語っていただきます。

著・博田巌

第4回 モンゴルへ ー 初の海外ラリーへの挑戦


「95年7月に、モンゴルで初めてラリーが開催される!」 というアナウンスがあったのは、前年のTBI(ツールドブルーアイランド)でのこと。国土が日本の4倍もあるモンゴルを、10日間でほぼ1周5000km走破するという、何とも冒険心をくすぐられる内容だ。 「大草原が広がっている」 そんなイメージしかないモンゴル、果たしてどんなところなんだろうか・・・?と、そこで初めて開催されるラリーに心が揺れる。 主催者がSSER(四国スーパーエンデューロラリー)やTBIを開催している日本人ということもあって、自分にとって初めての海外ラリーとしては、挑戦しやすかったように思う。実際に出場を決めて、準備を始めたのは年末近くになってからだった。 今でこそ、バイクを「ラリー仕様」に仕上げるのも、海外メーカーから出されているアフターパーツの組み合わせなどで、比較的簡単に出来る。情報だって、インターネットで簡単に世界中から集められる。けれど当時(1994・1995年)はそんなものがなく、まったくの手探りだ。 とはいえ幸いなことに、身近に「オーストラリアンサファリ」に出場したという先輩ライダーがいたので、いろいろと手伝ってもらえた。それまで乗っていたXR600をベースに出場車両を製作した。これらの作業の苦労を考えると、ゴールデンウィーク明けに車検を兼ねて積出港へ持ち込んだ時には、すでにラリーを走り終えたくらいの気分だった。 それから2か月後、いよいよモンゴルのウランバートルへ。実は私にとってはこの時が初の海外旅行で、いろいろな意味でドキドキ感が大きかった。民主化されたばかりのモンゴルの首都ウランバートルは、まだまだ旧共産圏の雰囲気が残っていたけれど、少し郊外に出れば、どこまでも続く緑の絨毯のような草原と、大きな青い空が広がっている。それを見ていると、少しばかり不安ながら「やっと走れる」という高揚感に包まれたものだ。 しかしそんな良い気分も、宿泊先のツーリストホテルで出された食事で見事に打ち砕かれてしまう・・・。 「モンゴル料理って、こんなの・・・」 と初めて食べた料理にほぼ全員がお腹をこわす結果に。今となってはいい思い出だけれど、ラリー中に出される地元の羊料理が食べられなくなったのは残念だったな。 さて、モンゴルの壮大な大地を走るラリー。大草原の中を、ハイスピードでどんどん移動できると思っていたものの、北に行けば渓谷や針葉樹が覆う森林地帯や湿地帯で、川渡りも多い。南に行けばゴビ砂漠が広がり、風景は想像以上に大きく変わり、気温の変化も激しく、実態はなかなかそうはいかない。そんな土地を、モンゴル人すら入っていかないような奥地まで踏み込む、まさに冒険そのものだった。 とくに、初めて走った砂丘群では、GPS機器を壊してしまったこともあって、熱い砂の海の中で途方に暮れたことも。これは今振り返ってみても、とても刺激的な出来事だった。 また、キャンプ地には地元のモンゴル人たちも遊びに来て、彼らとの触れ合いも大きな楽しみだった。言葉は通じないのに、よく馬に乗せてもらった。他の参加者の中には、暗くなってから、遊牧民の住むゲル(移動式住居)に泊めてもらったなんていう人もいて、そんな話をちょっとうらやましく聞いたものだ。 「ラリー」というと、過酷なイメージもあると思うけれど、大きなミスコースや転倒などのトラブルがなく、明るいうちにその日のキャンプ地に辿り着ければ、主催者の用意してくれた温かい食事が食べられるし、テントなども運んでくれる。そう考えると、身軽な装備で普段走ることが出来ない特別な場所を走れる 「とても贅沢なロングツーリング」 と言えなくもない。途中でのんびり景色を眺めたり、気になる場所で立ち止まってみたりはなかなか出来ないけれど。でも何より、大好きなオフロードバイクで「自分の好きなことをやっている」という感動がある。 今また同じことを「やりたい」とも「やれる」とも思わないけど(笑) こうして、運よく、第1回は1位でゴールすることができた。その後なんと第2回、第3回とも優勝するという好成績でラリーレイドモンゴルを走ることが出来た私は、次のステップ、パリダカールラリーへと向かうことになったのです。 (続く) ※当記事はツーリングマップル週刊メルマガにて2017年1月~2月に配信した記事を再編集したものです。

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